運悪くインフルに捕まってしまい、しばし寝ておりました。
病気で寝てると人恋しくなる、という話をよく聞きますが、
あれって本当のことだったんだとその時に実感いたしました(主に家事面で
なので、霊夢や魔理沙が病気にかかった時に香霖堂を訪れるのは、
何一つ不自然じゃないことなんだと強調したいとオモイマス。
そしてそこで改めて見せ付ける昔からの常連組パワー。
ほんのり修羅場を書こうとして…撃沈…ッ!
さて、それではいつもどおり以下より~。
(霖之助、ナズーリン、霊夢、魔理沙)
「いるかい? 霖之助く――おや」
からん、と軽快にカウベルを鳴らし、ナズーリンはひょこりと店内へ顔を出した。
しかし、いつもはどこか気だるそうに読書をしているはずの店主の姿が、カウンターにない。
ドアを後ろ手で閉め、店主の姿がないことに首を傾げながら、ナズーリンはカウンターのすぐ前まで歩み寄り、改めて店内を見渡す。
しかし相変わらず、あの仏頂面が基本表情の店主の姿は見えない。
その店主自慢のストーブが、頭に載せた薬缶と発する熱気で一人寂しく存在感を発揮しているだけである。
――おかしいな。入り口には確かに『商い中』とかかっていたはずなんだが……。
店を留守にするならば、霖之助は必ず『準備中』という札をかけていくはずだ。
普段から掛札の効果はあまりない、と愚痴っているが、それでもその効果のない掛札だけは忘れずにかけていく霖之助である。
今回だけ忘れた、という例外を抜きにして考えるなら、霖之助は留守ではなく、この店か家の中にいるはずなのだが。
――などと、ナズーリンがぼんやりと考えていると。
「ああ、君か。いらっしゃい、ナズーリン」
やや急ぎ足の足音と共に、奥から霖之助がひょっこりと顔を出した。
今日に限り、珍しく店先ではなく、居住スペースのある奥にいたらしい。
「あぁ、やっぱりいたのか。店でなくて奥にいるなんて、君にしては珍しいな」
「確かにそうかもしれないがね。今日は先客が居座っていてね、そっちの対応に追われてるんだよ」
「……? 先客だって? 店にはいないようだが……奥にいるのかい?」
「まぁね。君もよく知っている、紅白と白黒の鼠なんだが。……おっと、君の前では不用意に用いるべきではない喩えだったか」
「いや、別に構いはしないがね。……しかし、ふーん。あの二人が、店ではなくて奥に、か」
ぴこぴこ、とナズーリンの耳が動く。
――あの、存在自体がまず喧しいはずの二人が来ているという割には、随分と静か過ぎる。
それに、あの二人が香霖堂を訪れている時に腰を落ち着けている場所は、ナズーリンの知る限りでは奥ではなく、店先で思い思いの場所を陣取っていたはずだ。
奥に行く必要は何一つない。
食事を集りに来たのなら話は別だが、正午を一時間ほど過ぎた今の時間を考えると、随分と遅い話だ。
夕食だとしても余りに早すぎるため、寧ろ不自然だろう。
やはり、店先ではなく、奥に行く必要は何一つ感じられない。
――そんなナズーリンの考えを感じ取ったのか、霖之助は溜息と共に肩を竦めた。
「……別に何か裏があるわけではないよ。あの子達は病にかかると、何故かここにやって来るんだ。前にも似たようなことがあって、それ以来からね」
以前は確か、魔理沙が無縁塚で拾った小皿に貼ってあった、流行り神を封印する御札を剥がした事で起きた、流行病の時だったか。
霊夢は名前のない骨董品を探しに、魔理沙は無縁塚で拾った例の小皿を見てもらうために香霖堂に来たが、それ以来、看病してくれる相手を見つけて味を占めたのだろう。
病を得れば、香霖堂にやってくることが多くなった。
今回はあの時とは違い、どう見ても普通の風邪の域を抜けない病気のようではあるのだが、それでもこうしてやってくる辺り、きっとそういう肚なのだろう。
――あの時には僕が医者を始めても『どうせ儲からない』と言っていた割に、なんだがね……。
霊夢の一言を根に持っているわけではないが、どうせなら永琳の元に行った方が効果もあるだろうし、霖之助の面倒も減る。
あくまで香霖堂は古道具屋なのであって、休憩所や診療所ではないのだ。
餅は餅屋とも言うし、得意な専門分野を生業とする者に任せるのが一番面倒がなくていい。
重ねて言うが、霊夢の一言を根に持っているわけではないのだ。決して。
「へぇ。あの二人でも病になんてかかるのか。ふふん。その話だけ聞けば、随分と可愛らしいものじゃないか」
「……話だけ聞けば、だがね」
「ふむ? ……何やら事情があるようだね。どれ、何なら私も手伝おうか。ただ冷やかしに来てこのまま帰ったのでは、君の機嫌も悪くなる一方だろうからね」
「……なるほど。今日の君は冷やかしに来たのか。しかし、それでも手伝ってくれると言うのなら僕としても断るのは吝かではないよ。正直、僕一人の手では足りなかったところだし、妖怪の君なら人間の病は伝染らないだろうからね。とりあえず、奥に来てくれるかい?」
「ああ」
霖之助に促され、ナズーリンも奥へと上がる。
居間を通り抜け、客間へと近づくにつれ、二人分の咳をする声が聞こえてくる。
がらり、と客間の襖を開けると、仲良く並んで布団に臥せっている、ナズーリンにも見覚えのある二人の顔があった。
「何だ、遅かったじゃないか香霖……って、何だ。ネズミもいるじゃないか」
「あら、本当……コホッ。何しに来たのかしら?」
襖を開けた途端、ぱっと顔を輝かせた――ように、ナズーリンには見えた――二人だったが、霖之助の後ろにナズーリンがいることに気付くと、やや不満そうに顔を顰めた。
とりあえず、病に臥せっているとは言え、減らず口を叩けるだけの余裕と余力は残っているようだ。
しかし、そんな余力が残っていたとしても、開口一番に文句を言われるような謂れはナズーリンにはない。
何もそんな顔をされることはしていないんだがね、と胸中でごちるナズーリンだったが、それは代わりに霖之助が、霊夢と魔理沙の布団を掛け直しながら代弁した。
「ナズーリンは店に来たついでに手伝ってくれるそうなんだ。今は僕も手が足りてないから、彼女の好意を受け取ることにしたんだよ。君たちは看病される側なんだから、滅多な事を言うものじゃない」
「コホッ……とは言っても、なぁ?」
「うーん……ネズミは余計な病気を移しそうなのよねぇ……」
「……私はその辺の溝鼠じゃあない。まぁ、お望みとあらばそうしてやってもいいがね」
病に臥せっている割に妙に小生意気な二人の言動に、ナズーリンの眉根が上がる。
事実、病原媒介としてのネズミは、下手な殺戮兵器を凌駕する。
ナズーリンとて、それを身体の芯まで理解しているからこその言葉である。
――だが、そんな物騒な考えは、ぽすん、とナズーリンの頭に置かれた大きな手のひらに中断された。
「それでは本末転倒だよ、ナズーリン。この子らは病のせいもあって、いつもより精神が安定していないんだ。せめて今日くらいは二人の言葉は気にしないで手伝ってくれると、僕も助かるんだが」
「……ふん。まぁ、そういう事にしておくさ」
「……むぅ」
「……む」
自分の頭を撫でる、その意外とも言える霖之助の手の心地よさに、ナズーリンは悪態を吐きながらも目を細めた。
微かにではあるが、耳と尾も、それに連動するかのように、心地良さそうに僅かに動く。
――そんな鼠妖怪に、布団の中の二人が如何にも不満そうに頬を膨らませたのだが、霖之助もナズーリンも終ぞ、それに気付くことはなかった。
「さて、それじゃあ君には粥の準備を任せてもいいかい? この子らはちょうどお昼時に来たから、まだ昼餉を摂ってないんだ。僕は薬の準備と、後は店の方を放っておきっぱなしだったからそっちの始末をしてくるよ。今日は店を閉めた方が良さそうだからね。それに、君ならそれくらいは出来るだろう?」
「ああ、そのくらいなら簡単なものさ。任せておきたまえ」
「よし。じゃあこっちに来てくれ。割烹着くらいは貸そう」
「そうかい? 助かるよ」
ぱたん、と襖が閉じられる音と、少し重いものと軽いもの、二人分の足音が客間から遠ざかっていく。
それを、魔理沙と霊夢は布団の中から耳にしながら。
「……ふん」
「……コホッ」
ぽつり、それぞれの胸中を含めた音を発した。
◇ ◇ ◇
いつもの衣服の上から白い割烹着を纏い、ナズーリンはまず流し場で飯櫃を開けた。
櫃には、霖之助がお昼を摂るつもりだったのかは不明だが、既に炊かれた米が十分な量、収まっていた。
粥は炊飯する前の米から作った方が味がいいが、さすがにそこから始めると余りにも時間がかかりすぎるため、まだ昼餉を摂っていない病人に向けるものとしては現実的ではない。
多少味が落ちるとしても、そこは目を瞑ってもらうとする。
「となると、後は加減を見ながら煮るだけなんだが……塩だけの粥と言うのも、何だか味気ないな」
これだけの仕事だったら、別にナズーリンに手伝いを頼む必要もそれほどないように感じるのだが、それを言ってしまっては根底から色々と覆るので今は置いておく。
しかし、作ったのが塩味のお粥だけでは病人食として余りにも味気ない。
流し場にある色々な引き出しや戸棚を開けながら、何か使えそうなものはないかと、ナズーリンは物色を始める。
その手際が異様にいいのは、慣れているからだろう。色々な意味で。
「……お、生姜か。病人にはちょうどいいね。梅干もあるし、まぁ付け合せは足りるか。……ん? これは……?」
流し場すぐ脇の野菜籠の一番下から見つけた生姜を取り出しながら、すぐ近くにあった見慣れない袋を摘む。
妙にてかてかした材質の袋で、表面には大きく『葛湯』と書かれた文字と、調理例らしい写真がでかでかと貼り付けられている。
袋の材質、印字から見て、外の世界のものだろうことは容易に想像がついた。
中を改めると、何やら粉末の入ったような棒状の袋がいくつか出てきた。
「……ふんふん。これの中身を湯に溶かすと葛湯が作れるのか。へぇ、便利なものだね」
袋の裏の説明書きによると、そういう使い方らしい。
病人相手に出すものとしては実に最適である。
大方、霖之助が無縁塚から拾得してきたものだろうが、開封した跡があるのを見る限り、既に試食済みのものだろう。
あの何事も億劫そうな霖之助も、まさか使えないものを流し場へと置いておくはずがない。
他の面はともかく、道具屋としての霖之助ならば、十分に信用に足るだろう。
「どれ。それじゃあこれも出してやろうかね。生姜もこれに入れてやろうか」
湯は店の方のストーブにかけられていた薬缶のものを使えば、再度沸かす必要もなく簡単である。
漸くふつふつと煮立ってきた鍋に注意を払いながら、ナズーリンは店の方へと足を向けた。
◇
「ほら、準備が出来たよ……って、君は何をしてるんだい?」
二人分の粥を入れた土鍋と生姜入りの葛湯、そして器を盆に載せ、客間へと戻ったナズーリンがまず目にしたのは、霊夢と魔理沙それぞれの額に手のひらを当てている霖之助の後姿だった。
「ああ、もう出来たのかい? 助かるよ。……ほら、二人もいい加減に放してくれないか。食事が出来ないだろう?」
その当の本人と言えば、ナズーリンの声に振り返りながら、困ったような表情を浮かべて臥せている二人に言い放つ。
と言うのも、その額に当てられた手は、霊夢と魔理沙たちの手によってしっかりと掴まれ、放すに放せないような状況になっていたからだ。
霖之助が当てている、というよりは、手首を掴まれて無理に押し当てられている、といった方が状況としては正しい。
まるで清涼剤でも見つけたかのように、随分と緩み切った二人の少女の顔に、その手は張り付いていた。
「んぁ~? 何だ、もう出来たのか? 香霖の手、冷たくて気持ちいいんだがなぁ……」
「でも、お腹が空いたのは確かだしねぇ……仕方ないか……」
「……ふん」
顔を見る限り、渋々といった感じが全く拭えていないが、それでも二人は霖之助の両手を解放する。
それをじっとりとした目で見遣り、鼻を鳴らしながら、ナズーリンは霖之助のすぐ隣に腰を下ろす。
――若干、二人の距離が近い気もするが、まぁ気にするほどのことではないだろう。
「とりあえず、流し場にあったものを色々と使わせてもらったよ。梅干をいくつかと、あと葛湯と生姜を少々だね」
「ああ、それくらいなら構わないさ。寧ろ、よく気が付いたと言うべきかもしれないがね。今の二人にはちょうどいい献立には違いない」
言いつつ、霖之助は早速器を一つ取り、土鍋の蓋を開ける。
途端、温かそうな湯気と、白い中に点々と紅色の塊が沈んだ、実に美味そうな粥が目に飛び込んできた。
それを混ぜて器に盛りながら、まるで感嘆するかのように、霖之助は呟いた。
「……ふむ。彩りもいいし、煮加減もちょうどいい。意外と言うと言葉は悪いが、毘沙門天の下にいた時に身に付けたのかい?」
「ああ、まぁね。雑用含め、家事なら一通り出来るよ」
――ご主人もだが、という言葉は飲み込んだ。
別に、余計な事を言う必要はない。
今霖之助が訊いてきたのは、あくまでナズーリン自身のことだからだ。
「そうか。まぁ、誰かの下で修行するなら、まず仕込まれるのはそこだからね。当然と言えば当然か。……さて、二人とも。食欲はあるかい? お粥を取り分けたから、食べるなら起きるんだ」
二人分の器に粥を盛り、霖之助は霊夢と魔理沙にそう声をかける。
さすがに寝たまま食事をするのは、見た目にも行儀が悪いし、何より食物への冒涜に他ならない。
身体を起こせないほどの重病なら致し方ないが、この二人はそうではないため、身を起こさせるのは当然の事である。
「う~……ゴホッ。頭がクラクラするぜ……」
「全くだわ……コホ」
いまだ気分は優れないようだが、二人とものそのそと身体を起こしたところを見ると食欲はあるようである。
だが、それが一番何よりである。
病を治すには薬も大事だが、何より食事を摂れるかどうかが肝要だ。
人間は生命維持に食事を必要とする。
逆に言えば、その食事すらも摂れない状態になっている時の人間は、かなりの進度で衰弱が進んでいることに他ならない。
故に、どれほど調子が悪かろうとも、食事を摂ることが出来るということは重要なのだ。
「ほら、魔理沙、霊夢。ちゃんと後でナズーリンに――」
「あー」
「――っ!?」
「……一体何をしてるんだ、魔理沙」
「あん?」
器に盛った粥を渡そうとした霖之助の目の前で、魔理沙がまるで餌を求める雛鳥のように口を開けていた。
――いや、まぁ、何をしようとしていたのか、霖之助も薄々と分かってはいる。
だが、いくら病に臥せっていて人恋しくなっていようと、さすがにそんな面倒なことを要求することはとうに卒業したと、霖之助は思っていた。
それは、もしかしたらナズーリンも同じような事を感じていたのか。
何やら目を丸くして驚いたような表情を浮かべているが、それも無理ないことだろう。
霖之助も、驚きと言うよりは呆れながら魔理沙に聞き返していたのだから。
「何って……いや、昔はよく食べさせてくれただろ? ほれ、病に臥せってる可愛らしい魔法使いに食べさせられるんだ、寧ろ感謝して欲しいくらいだぜ。ゴホッ」
「……そういう事は自分で言うものでもないし、昔の話をされてもね。それに、君がそういう事を言い出すと――」
「あ、魔理沙、それ楽でいいわね。ねぇ霖之助さん、私も」
「……こうなるから、面倒なんだ」
のし、と、胡坐をかいている霖之助の左右の膝に頭を乗せてくる魔理沙と霊夢に、霖之助は心底面倒そうに顔を顰める。
まるで、二匹の大きな雛鳥に餌をやる親鳥になった気分を味わっているかのようだ。
まだ所帯どころか子供すら持ったことがないのに、だ。
――しかし、霖之助がナズーリンに看病の手伝いを頼んだ理由というのが、実はこれなのだ。
二人揃って病に臥せったせいで人恋しいのかどうかは知らないが、悪い意味で二人とも童心に返っているような言動ばかりしてくる。
さっき、霖之助の両手を掴んで放さず、自身の額に押し当てていたのもそうだ。
ああいったことのせいで、霖之助が手を放せずに店を放置せざるを得ない状況になっていたのだ。
だからこそ、ナズーリンの手伝いを喜んで受け入れたのだが、結果としてやはり、それは正解だったらしい。
「……はぁ。まぁ、百歩譲って食べさせてやってもいいが、見ての通り僕は一人しかいないからね。どちらかはナズーリンに――」
「それは嫌だぜ。なぁ?」
「それは嫌よ。ねぇ?」
「……」
「……」
見事に即答した二人に、霖之助とナズーリンは同時に顔を見合わせて嘆息する。
――ただ、その胸中は、霖之助とナズーリンでは微妙に異なっていた。
ナズーリンには、何となく分かるのだ。
二人が、ナズーリンが相手では嫌がる理由が。
二人が、霖之助が相手でなければ喜べない理由が。
自分だって同じ立場だったら、間違いなくこの二人と同じことを言うだろうから。
――ただまぁ、それを本人を前にしてこんなにも悪びれることなく堂々と言えるかと言えば、それはまた別の問題になってくるのだが。
それに、ナズーリンとてこんな風に渋面を作ってくるような輩相手に、喜んで給仕するような博愛精神は持ち合わせていない。
同じ寺に住んでいるとは言え、ナズーリンは聖や星ほど聖人ではない。
それならば勝手にするがいい、と無視を決め込むことにした。
――二人が何かを言いたそうに、ちろちろと視線を向けてくるのも気に食わないが、それらもまとめて無視を決め込んだ。
「……じゃあ、普通に食べてくれないか?」
「それも何だか嫌だ」
「気が乗らないわよねぇ……」
「……はぁ……」
かと言って、霖之助が別の提案をすれば、それも霊夢と魔理沙は首を振る。
まるで、と言うより、まんま昔の魔理沙と霊夢だ。
ただあの時と違うのは、圧倒的に我儘さが増し、しかも煩く文句を言ってくるところか。
――昔より面倒だな、これは。
軽い頭痛を覚えながら、解決策というよりもどうあしらうかを、霖之助は必死に考え始めた。
――結局、あんまり我儘を言うようなら帰ってもらうよ、と、半ば投げ出すようにして自分で食べさせたのだった。
◇ ◇ ◇
ナズーリンが昼餉に使った器を洗い終えて戻ってくると、霖之助はまた両手を二人に奪われた状態で、枕元に座っていた。
その背中を苦笑を浮かべて見遣りながら、ナズーリンはまた霖之助の隣へと腰掛けた。
「ハハッ、またその格好かい? この二人もよく飽きないものだね」
「全くもって同感だよ。二人とも子供として扱うと臍を曲げる割に、困ったものだがね」
苦笑を浮かべる霖之助とは正反対に、霊夢と魔理沙は食欲が満たされて満足したのか。
さっきまでの我儘ぶりが嘘のように、静かに眠っていた。
二人とも、霖之助の手を握り締めたまま、実に安心したような表情を浮かべている。
この顔だけ見れば、とても幻想郷中の異変を解決して回っている二人組だとは到底思えない。
本当の意味で、年相応の少女の顔にしか見えなかった。
病に臥せっているからだろう、いつもの性格が少しばかり鳴りを潜めているから、尚更なのかもしれない。
そして、そんな二人に手を握られ、苦笑を浮かべながらも振りほどこうとはしない霖之助も、まるで――。
「……ふーん。しかしそうしていると、まるでこの二人の父親にしか見えないな」
「ん? ……ああ、そうかもしれないな。実情はともかく、僕の心情からすれば妥当なのは違いないからね」
そう、霖之助は軽く答えた。
それは霖之助からすれば深く考えるまでもない、自然で偽りの無い答えだったのだろう。
この三人の付き合いの長さと年齢差を考えても、霖之助からすれば、きっとそれが自然な答えだった。
しかし、霊夢と魔理沙からすれば、それはどうなるのだろうか。
今、こうして霖之助の手を握ったまま放さない二人は、父親を放すまいとしている娘なのか。
それとも、それとは『違う理由で』霖之助を放すまいとしている、単なる年頃の二人の少女なのか。
そのどちらかは、ナズーリンにも判然としない。
だが、それも当然だ。
恐らくは本人達も心の深層に隠しているようなことを、一部の例外を除いて第三者が窺い知ることは出来ないからだ。
ただ、それでも。
――もしそれが『父親』だったなら、まだ安心出来るんだがね。
「……ん? 何か言ったかい?」
「……いや、別に。何も言ってないさ」
こちらに振り返った霖之助の言葉には答えずに、ナズーリンは借りていた割烹着を脱ぎ始める。
大抵の人間の家庭では、母親が炊事の際に用いているのであろう、その衣服を。
――誰が母親役になるのかは……まぁ、神のみぞ知る、てところかね。そうだろう?
ぽつり。
ナズーリンは胸の内で、聳える二枚の大きな城壁へ呟いた。