淡色の空

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振り返ってみれば、有意義な

お久しぶりです。淡色です。
少し間が空いてしまいました。
ちょくちょく足を運んでいただいている方には申し訳ない限りです(´・ω・`)

さて、今日も一つお話を投下。
以前、アップしました【配達先は永遠の屋敷】の続編になります。
こちらを読まないと分からない点が多々あるので、まだ目を通していない方は是非どうぞ~。

前のSSを読んで頂いた色んな方から『姫はどうした!?(大分意訳)』と
言わんばかりのお言葉を頂戴しましたが、
『実は輝夜さんは裏でこっそりとあることをしてたんですよ、だから書くのを忘れてたわけじゃないんですよ!』
という、裏話的なアレです。

あと何故かメインは鈴仙のはずだったのに、妙に目立つ輩が一羽いたり。

まぁ細かいことは気にせず、以下よりどうぞ~。


(霖之助、鈴仙、永遠亭の方々)




「あら、香霖堂の店主じゃない。ご無沙汰してたわね」
「……ああ、久しぶりだね。永遠亭の主」

――永遠亭からの帰り道。
鈴仙の作ってくれた、迷いの竹林の入り口へ続く轍を歩く途中、霖之助はある人物と出会った。
他でもない、永遠亭の主である蓬莱山輝夜だ。
顔を合わせるのは、香霖堂の壁をものの見事にぶち破って入店してきた、あの一件以来であった。
永遠亭にいる間は姿を見かけなかったため、てっきり自室に篭っているのかと思ってみれば、どうやらこの竹林の中にいたらしい。
――何故か、まるで外の世界の漫画における典型的な罠にかかったかのように、投網のようなネットにくるまり、木に吊り下げられて。

「……それで、君は一体何をやってるんだい?」
「これが遊んでるように見える?」
「少なくとも、僕にはふざけてるようにしか見えないがね。一体ここで何をしてたんだ?」

霖之助の言葉も尤もである。
一体何があってこうなったのか、小一時間問い詰めたいくらいだ。
一方、そんな輝夜は特に焦った様子もなく、うーん、と間の伸びた声を上げるだけで。

「ちょっと暇だったから、よく里に行く鈴仙あたりに悪戯しようかと思って、ちょっと前に兎に罠を作らせてみたのよ。それの確認に来てみたら――」
「このザマ、かい? 全く、木乃伊取りが木乃伊になったのもいいとこじゃないか」

霖之助はもはや、呆れた溜息しか出ない。
確かに永遠亭の主人はよく暇を持て余していると聞くが、これは相当な重症らしい。
そのどうでもいい暇潰しにあわや付き合わされそうになるところだった鈴仙は、本当に気の毒である。
まぁ今回はその罠に作った本人が引っかかっているため、自業自得もいいところなのだが。
呆れ果てる霖之助に、輝夜は網の中から頬を膨らませた。

「そんな事より、ちょっと下ろしなさいよー。兎もいないから、どうしようかと思ってたのよ。ちょうどよかったわー」
「……何で助けてもらうのに、君はそんなに尊大に出来るのか、ほとほと謎だよ」

もう一つ、呆れた溜息を追加しながら、霖之助はとりあえず輝夜を下ろしにかかる。
幸い、それほど作りこまれた罠でもなく、ただ単に地面に隠した網の上を通りかかった獲物を吊り上げるだけの機能だったようなので、輝夜を解放するのにそれほど時間はかからなかった。
ごそごそ、と、まるで脱皮でもするかのように、輝夜は網という束縛から抜け出し、ぐっと背を伸ばした。

「うーん、助かったわー。さすがに二刻も吊り下げられるのはきつかった」
「……そんな長い時間、罠にかかってたのか……」

誰にも見つからなかったらどうしていたのだろう、という自然な疑問が湧いてくるが、この輝夜と言う人物は不老不死であることを、霖之助は思い出した。
もし人間が同じ状況にいたらもっと焦ると思うのだが、彼女のことだ、別に死なないのだからいつかは脱出できるだろう、という程度の認識でいたのかもしれない。
ふぅ、と、また一つ、霖之助の溜息が増えた。

「……じゃあ、僕は行くよ。今みたいな、周りにも迷惑がかかるような馬鹿なことは、今後は是非止めることをお勧めするよ」

輝夜を見て浮いた正直な意見を口にして、霖之助は帰り道への歩みを再開させる。
背中から、輝夜の声がかかった。

「月の姫に向かって馬鹿とはいい度胸ね。……あ、でも貴方、そっちには――」

そこまでの言葉を聞いて、霖之助の姿がふと、掻き消えた。

「――っっっ!」

急激な浮揚感が身を包んだと思えば、派手な激突音と、途端に全身に走る激痛に、霖之助の喉の奥から蛙が潰れるような声が漏れた。
痛みを堪えながら上を見上げれば、ぽっかりと丸く切り取られた青い空が、随分と高いところに浮いていた。
高さにして、ゆうに霖之助が三人は縦に納まるくらいの深さの穴の底に、霖之助はいた。
ひょこりと、その丸く切り取られた空の端から、輝夜が顔を出した。

「……一個だけ派手なのがあるのよ、って言おうとしたんだけど。遅かったみたいね」
「……ああ。それはもう、驚く程に遅かったよ……」

尋常ではない痛みの走る左足に、霖之助は冷静に思った。
――折れたな、これは、と。


 ◇ ◇ ◇


――まさか、さっき帰るために出てきた場所に、また戻ってくることになるとは思ってもみなかったな……。

真っ白い寝台――ベッド、という、簡易式の量産寝台らしい――に横たわり、いつもの青黒の服ではなく、白い患者服を身に纏い、包帯と固定具で完全に固定された左足を吊るしながら、霖之助は思った。
その横で、本当に困ったように、永琳が溜息を吐いていた。
後ろには、鈴仙が心配そうな面持ちで立っている。

「本当にごめんなさいね。姫の悪ふざけが行き過ぎたみたいで……」
「それについては、本当にその通りだね、としか言いようがないな。是非とも今度から、あの姫を外に出さないようにした方がいい」

さっきまでの口調とうって変わり、いつも通りに霖之助は永琳へと言葉を投げる。
さっきは客と店主だったが、今は違う。
あのような疲れる口調をするつもりなど、今の霖之助には全くなかった。

「……割と本気で考えておくわ。と言っても、普段から余り外には出ない方なんだけど、今回は間が悪かったわね……」
「間が悪いどこの話じゃないさ。それと、悪ふざけで済む範疇も少々超えていると思うんだが」
「ええ、そうね。今回の治療については、こちらが全て持つわ」
「ああ、それは助かる。まぁ当然とも言えるが」

――全治三週間の骨折。
そう、永琳は診断した。
複雑骨折、粉砕骨折までは至っていないが、一本の大腿骨の複数部が折れ、かつ折れた骨で内部組織が傷ついている可能性があるため、患部を固定して松葉杖を使えばすぐ歩ける、というほど楽観できるものでもなかったらしい。
他の合併症が出ないかを確かめるために、少なくとも今日明日は様子を見る必要がある、とは永琳の談だ。
穴が少々深かったのと、落下した時の姿勢が悪かったらしい。
三週間というのは人間換算の計算であるため、半妖の霖之助はもう少し早く回復するだろうとのことだが、それでも治療した後、香霖堂までの長い道のりを即帰宅出来ないことに変わりはない。
今すぐに松葉杖をついてでも帰りたかった霖之助ではあったが、永琳から強く入院を言われればそれに従うしかなかった。
はぁ、と、今日何度目か分からない溜息を、霖之助は吐いた。

「……これが鈴仙、君を驚かそうと思って作ったというから驚きだ」
「……え? そ、そうなんですか?」

霖之助の言葉を聞き、鈴仙は包帯でぐるぐる巻きに固定され、吊り下げられた左足へと目をやって、若干青ざめた。
至って正常な反応である。
医者として勉学を積んでいる彼女なら、現在の霖之助の怪我の重さと、そして痛みも容易に想像できたであろう。

「ああ。……自分を犠牲にして、という考えは毛頭ないが、ある意味僕が踏んでよかったのかもしれない。これでも人間よりは多少、頑丈に出来ているからね。君が踏むよりは、色々とマシだったことだろう」
「……う……」

何の臆面もなく言い切る霖之助に、鈴仙の頬が朱に染まる。
きっと本人は何のつもりもなく、ただ事実を述べているだけに過ぎないのだろうが、言い方がまずい。

――い、色々と想像しちゃうな……。

明らかに霖之助は変な意図を込めて言っているわけではないことは分かるが、それでも代わりに自分が踏んでよかった、と思ってくれる程度には、自分のことを考えてくれている。
そう思うことすらかなり早計なのかもしれないが、鈴仙はただでさえ淡い桜だった頬を更に花咲せる。
そんな二人のやり取りを眺めて、永琳はにやり、と笑った。

「とりあえず、暫く安静ね。貴方は半妖だから多少治りは早いだろうけど、早く帰りたかったら無理に動かないこと。一応私も診察はするけど、普段の世話はうどんげに任せるわ。その方が貴方も安心でしょう?」
「え? し、師匠?」
「……安心の意味が分からないな。まぁ不満はないが」
「あら、じゃあ姫様かてゐの方がいいのかしら? 一応、どちらもさすがに怪我人に対する分別は弁えていると思うけど、正直、ちゃんと明後日に退院できる保証はないのだけれど」
「……なるほど、そういう意味か」

永琳の解説に、霖之助は深く頷く。
確かにあの二人に普段の世話をされるというのは、正直に言ってしまえば余りにも怖すぎる。
どちらも悪戯好きであり、かつ片方は恐ろしいほど暇を持て余しているために、滅多に永遠亭を訪れず、かつ抵抗も難しい異性の霖之助など、文字通り玩具と化すことだろう。
あの手この手で何をされるか、全く想像できたものではないのだ。
その点、鈴仙は確かに霖之助が安心して世話を任せられる、最も妥当な相手であった。
ある程度互いを知っており、かつ真面目で穏やかな彼女であるならば、確かにあの二人より遥かに適任であろう。

「分かった。そういうことなら僕からも是非お願いしたい。明後日までの入院だが、それまでよろしく頼むよ、鈴仙」
「あ、は、はい。その、こちらこそ」

霖之助の言葉に、鈴仙は礼儀正しくお辞儀をする。
――その裏で、正直なところ、鈴仙は非常に複雑な気持ちだった。
また霖之助が永遠亭に来るようなことがあればいいな、程度に思っていた鈴仙にとっては、彼が永遠亭に滞在しなければならなくなった現在の状況は、嬉しさ半分、霖之助への哀れみ半分で、何とも言えないような感情がない交ぜになっていた。
可哀想な顔をすればいいのか、それとも嬉しそうな顔をすればいいのか。
今のこの状況や、霖之助が入院しなければならなくなった事情を考えれば、後者はいくら相手が自分を好意的に見ていたとしても喧嘩を売っているようにしか見えないため、ややもすれば緩みそうになる顔を抑えるのに必死だった。
――嫌われたくは、なかったから。

「……ところで、突然の入院だったから、店の方もここに来た時のままでね。出来れば明後日まで閉店する旨と、日用雑貨を少々取ってきてほしいんだが、誰か適当な人材はいるかい?」
「あ、はい。でしたら――」

霖之助の言葉に、今まで考えていた思考をとりあえず停止し、医者の顔へと鈴仙は戻る。

霖之助の要望どおり、彼の自宅兼店舗に比較的まともな妖怪兎を向かわせたのは、陽も暮れかけ始めたこのほんの数分後のことだった。


 ◇ ◇ ◇


――次の日は、まだ朝早いうちから、騒がしい来客があった。
どばん、とまるで親の敵の家にでも押し入ったかのような音を立てて開いた病室の扉が、その時点で既に来客が誰かを如実に物語っていた。

「ぃよぅ、香霖! 何だ、入院したんだって? お、鈴仙もいるのか」
「……その、おはようございます、魔理沙さん」
「……魔理沙。鈴仙が言いづらそうにしているから、僕が代わりに言おう。病室には普通、もう少し静かに入ってくるものだ。今は僕が一人だからいいが、他に患者さんがいるかもしれないんだ」
「そのくらい私も分かってるぜ。別に香霖しかいないからいいじゃないか」

どかどか、とまるで気配りを感じさせない歩き方で、魔理沙は霖之助のベッドへと歩み寄り、適当にその辺にあった椅子を引っつかむと、それに座った。
ほんの数秒前に言った霖之助の言葉は、もう既に水泡と帰したようだった。
――はぁ、と、深い霖之助の溜息が漏れた。

「……もう一つ忠告だ。ここは僕の家じゃない。だから、いつものように騒ぐのは無しだ。変な風に暴れられて左足を攻撃されたら、本当の意味でやってられないからね」
「ああ、さすがにそんな事はしないぜ。それよりほら、見舞いの品だぜ」

ひょい、と霖之助に渡されたのは、何やら彩り豊かなキノコが詰まったバスケットだった。
――余りにも『らしい』魔理沙からの差し入れに、霖之助と鈴仙は、どちらともなく薄く苦笑した。

「……普通、こういう時は果物籠だと思うんだけどね」
「私も、キノコは初めて見ますね……」
「あー? 何だ、見舞いの品に注文入れるやつも私は初めて見たぜ。別にキノコだっていいじゃないか。大丈夫、今回はよく分からないものは入れてないからな」
「……君がいつも僕の所に持ってくるのには、君の言う『よく分からないもの』が混じっている、ということかい?」
「黙秘権を行使するぜ」

ふふん、とだんまりを決め込んだ魔理沙に、霖之助はまた苦笑する。
黙秘権の行使、とは言っているが、その時点で既にそうであったと認めているようなものだったから。

「まぁいいさ。魔理沙らしくて逆にいい。それに、やはり見舞いとしての心遣いを示すものを贈ってくれたんだ。品物で優劣をつけるつもりは毛頭ないしね。素直に礼を言うよ、魔理沙」
「……ふん。何だ、最初からそう言えばいいじゃないか。全く、香霖はいちいち回りくどいぜ」

何故か帽子を深く被り直し、そっぽを向きながら魔理沙は言う。
それが照れている仕草であると分かっている霖之助も、自然に微笑んだ。
口調は相変わらず淑やかさの欠片もないが、こういう年相応の可愛らしさは残っているものだ。

「すまないが鈴仙。これを食事に使ってくれないか? さすがに生食するわけにもいかないだろうしね」
「あ、はい。分かりました」

霖之助から渡されたバスケットを、鈴仙は受け取る。
――本来、入院患者には消化のいいものだとか、使用している薬品に影響のないような食事が出される。
そういう意味では、キノコというものは少なからず薬用成分が混じっている種も多いため、それを選り分ける手間を考えると、キノコを出すことは余りない。

――後で師匠に確認しながら、かな。

そう、鈴仙は判断する。
医学を学んではいるが、まだ自身の師匠ほど、その知識は深遠ではない。
霖之助に万が一があっては困るので、永琳の判断を仰ぐ、というのは至極当たり前かつ安全な対策法であった。
――その一方で、魔理沙は今度は余り見慣れない、骨折固定具であるギプスに興味を示していた。
さすがに触るようなことはしなかったが、その視線が自身の重傷の部分に向く、と言うのは、やはり魔理沙をよく知る霖之助からすれば、気が気でなかった。

「……ふーん。何だ、本当に怪我したんだな。香霖にしちゃ珍しいから、一体どうしたもんかと思って来たんが。入院するほど酷かったのか?」
「まぁね。ただ折れたわけじゃないから尚更、ってところだね」
「? ただの骨折じゃなかったのか?」
「他の合併症の予防、ですね。折れた骨が体の中を傷つけている可能性があるので、他に症状が出ないかをチェックすることになったんです」
「ふーん、そうだったのか」

それだけ聞いて満足したのか、魔理沙は足をぷらぷらさせ始めた。
――会話の間が空いたちょうどその時に、からり、とまた扉が開いた。
ひょこりと顔を出したのは、霊夢であった。

「あら、 本当に入院してたのね。おはよ、霖之助さん」
「ああ、霊夢かい。君がはるばる来るとは珍しいね」
「どういう意味よ、それ。ああ、魔理沙ももう来てたのね。鈴仙もおはよ」
「おう」
「どうも」

あっと言う間に賑やかになる病室に、まるでここは香霖堂か、と霖之助は思う。
賑やかなのは悪い事ではないが――この二人だと妙に心配になるのは、やはり致し方ないことなのだろう。

「あ、そうだ、店主さん」
「ん? 何だい?」

そんな事を苦笑しながら霖之助が考えていると、ふと鈴仙が呼んだ。
さ、と彼女が取り出したのは体温計(元香霖堂商品)であった。

「えっと、そろそろ検温の時間ですから、これを脇の下に挟んで下さい。あ、あと今、特に酷い痛みとか、妙な感覚とかはありませんか?」
「ああ、分かったよ。痛みは特にないかな。左足にたまに鈍痛がある程度だが、これは骨折のためだろう」

鈴仙から体温計を受け取り、それを言われたとおり左の脇の下に挟みながら、霖之助は更に質問に答える。
それを、鈴仙は持っていた記録簿――彼女たちの専門用語では『かるて』とか言うらしい――に書き込んでいく。
骨折であるのに検温を行うのは、鈴仙や永琳の言う、骨折の際の損傷からの感染症予見のためらしい。

「あ、はい。……特に目立った変化なし、と。あ、それと、ちょっと私、今から流し場の方に行きますけど、何か必要なものはありますか?」
「そうだね……。ああ、水差しを新しいものに変えてくれないかな。それ以外は特に大丈夫だよ」
「はい、分かりました。……じゃあ少し席を外しますけど……霊夢さんと魔理沙さんは、くれぐれも暴れないようにしてくださいよ?」
「分かってるぜ」
「分かってるわよ」

鈴仙からの念押しに、面倒くさそうに二人は答える。
病室を出て行く際も、鈴仙はどこか気がかりそうであったが、この二人をよく知っている霖之助からしても、どちらかと言えば鈴仙の気持ちの方がよく分かるだけに、微妙に複雑ではあった。

「……なぁ。なんか鈴仙のやつ、妙に機嫌良くないか?」
「あら、あんたもそう思う? ……ふーん、って事は……」
「……そういう事、か?」
「多分、ねぇ……」

鈴仙が部屋を出て行った後に、霊夢と魔理沙は二人で何かをヒソヒソと話していた。
あくまで二人だけの会話なのか、霖之助には聞こえないような小声であったせいで、内容はよく理解できないものであった。
時折聞こえた単語では、『入院って大義名分を――』だとか、『だったら私たちも永遠亭に――』とか、やはり聞こえていてもよく分からない内容ではあったが。
とりあえず、そうして静かにしてくれている間は霖之助も不満ではなかったので、そのまま放っておくことにした。


その後、病室に戻ってきた鈴仙を、寧ろ逆に監視するように視線を注ぐ二人に、鈴仙共々、霖之助は首を傾げる他なかったのであるが。


 ◇ ◇ ◇


そして、お昼時。
小腹も空いてきたというで、霊夢と魔理沙は一旦病室から帰っていった。
ここが香霖堂であったなら何の迷いも無く昼餉を集ってきたであろうが、そこは流石に自重したようで、霖之助もほっと息を吐いた。
鈴仙も昼餉の準備で席を外しているため、今は病室には霖之助が一人だけであり、その静けさを愉しんでいた。
――のだが、不意にひょこりと病室にやってきた顔ぶれに、霖之助の静かで穏やかな一時は、一瞬にしてその色を変えることになった。

「はーい。店主、元気にしてる?」
「……はぁ」
「あ、あいつ思いっきり顔顰めた上に溜息なんてオマケまで付けた。何て失礼な奴」

やってきた二人組へ、霖之助は全く遠慮することなく溜息を投げつけた。
片や、霖之助がこの永遠亭へと舞い戻ってくる原因となった、常に暇を持て余している月の姫。
片や、この幻想郷でも間違いなく五指に入る悪戯好きな詐欺兎。
この組み合わせを見て、その人となりを知っている人物であれば不安にならない要素は何一つなかった。

「……君ら二人の人となりを知っていて、それでなお溜息を吐かないような聖人は、今のところ僕は知らないがね」

可能性があるとすれば、命蓮寺の聖尼公くらいだろうが、彼女が永遠亭のこの二人を知っているかは未知数のため、除く。
となれば、それなりに人脈のある霖之助でも、心当たりはなかった。
それくらい、この二人の組み合わせというものに、不安を感じずにはいられなかったのだ。
恐らく焼け石に水だろうが、鈴仙がこの場にいない事が悔やまれてならなかった。
一方、決していい事を言われていないはずの輝夜とてゐは、それを聞いて何故か笑っていた。

「あらあら、酷い言われようねぇ。お昼、いらないのかしら?」
「……何だって?」
「私たち、イナバからお昼を届けて欲しいって言われてきたのよ?」
「そうだそうだー」

じゃじゃーん、と妙ちくりんな効果音と一緒に、てゐは自分の頭の上に昼餉らしき食事を載せたお盆を掲げた。
――確かに鈴仙が昼餉を作るために病室を出てからだいぶ経っているため、もうそろそろ準備が済んでいても何ら不自然は無い。
だが、ならば何故、永琳から世話を一任されたはずの鈴仙が運んでこないのか。
昨日、永琳から霖之助の世話を任されてから、鈴仙はそれこそ永琳からの呼び出しや講義、その他の用事がない限り、この病室にいた。
霖之助の身の回りの世話を、それこそ嬉々としてやっているような節さえ感じられる。
まぁ、それは医者として患者へ接する態度としては、間違いなく正しい。
それに鈴仙の場合、師匠である永琳から任された仕事ということもあり、張り切ってもいるのだろう。
何とも向上心の見える所作ではなかろうか。
見ていて微笑ましさすら感じるものである。
――そこで問題になるは、そんなふうに一所懸命な鈴仙ではなく、何故輝夜とてゐが代行しているのか、ということである。
鈴仙は霖之助の怪我の原因が輝夜であることは知っているし、悪戯好きのてゐが、顔見知りである霖之助の介護をまともにやろうなどと考えないことくらい、絶対に感じているはずだ。
その鈴仙からこの二人に頼みごとなど、『怪しい』という言葉以外にそれを評する適切な言葉が見当たらない。

「……」
「あ、何か物凄く胡散臭そうな目で見られてる」
「心底信用されてないわねぇ、私達。甲斐甲斐しくお世話をしようと思ってるのに、悲しいわ……」
「全く、本当に失礼しちゃう。せっかくお昼作った鈴仙も、その努力が全く評価されずに可哀想……」
「女の敵ね、あの男。最近外の世界で流行ってるとかいう草食系って、ああいうのを言うのかしら。男だったらもうちょっとこう、ギラギラしてるくらいがちょうどいいと思うのに。ああ、熱心に求婚されてたあの頃が懐かしいわ……」
「本当だわさ。まぁ、私は元草食動物だから、そんな男がいたら狩られそうで嫌だけど」
「あらあら、狩られるだなんて。てゐ、まだ陽は高いわよ?」
「やだもう、姫様ったら」

きゃいきゃい、と、仕事を頼まれているはずの二人は、その仕事を放り出して談笑を始めた。
――その内容が、到底日が高いうちに、かつ見た目はまだうら若い女性がするような内容ではない事に、霖之助は浮かべた眉の皺を深めざるをえなかった。
とりあえず、そのまま放っておいた方が、現状の霖之助の精神衛生的に余りよろしくないことになりそうなのは確かであった。

「……はぁ。分かった、とりあえず入るといい。だからこんな昼からそんな話は止めなさい」
「「はーい」」

霖之助の許可が得られた途端、ぴたりと二人は雑談を止め、とたとたと病室に入ってくる。
実に変わり身の早いことだ。
逆に尊敬の念すら湧いてくる。湧いてきた瞬間に掃いて捨てたが。
ことり、とベッドに備え付けられた食事用のテーブルに、てゐは持っていたお盆を置いた。

「はい、今日のお昼。作った鈴仙に感謝するといいよ」
「……ふむ」

てゐは鈴仙作だと言っているが、念のために霖之助は一通りの料理を眺め、その名称を確認する。
――とりあえず、名称に不審な点はない。
単なるご飯や汁物、そしておかずである青菜のお浸しとキノコの煮付けである。
そして、その煮付けに使われているキノコに、僅かながら霖之助は見覚えがあった。
どこでだろう、と少し考え、霖之助はすぐに魔理沙が持ってきてくれた例のキノコを思い出した。
魔理沙ならばともかく、霖之助に胸を張れるほどのキノコの知識はなく、また直近でキノコを見たのはその一件だけであるため、恐らく間違いないだろう。

――となると、これを作ったのは本当に鈴仙か……?

霖之助が魔理沙からキノコを受け取り、鈴仙に『食事に使ってくれ』と頼んだ時にこの病室にいたのは、霖之助と鈴仙の他には魔理沙しかいない。霊夢もまだいなかったのだ。
あの時点で盗み聞きでもされていない限り、あのキノコを使ってこの二人が食事を作る、という発想が出来るはずが無い。
そしてその直後に霊夢が何食わぬ顔で病室に入ってきたことを考えると、あの時点で盗み聞きをしていたとも考えにくい。
勘のいい霊夢が、それに気付かなかったとは考えられないからだ。
それに、この二人に料理が出来るとは正直、あまり思えない。
昨日の夕食も鈴仙が作ったものを食べたが、その腕が意外と――女性に対して言うには失礼なことなのだろうが――良く、久々に実に有意義な夕食の時間を過ごすことができた。
この食事も昨日の夕食のように、香り、見た目の彩りが、食材の持つ自然な香りや色を無理に曲げることなく引き立たせており、とても一朝一夕に作れるようなものでもない。
――となれば、いよいよ本当に、どうやらこの昼食は本当に鈴仙が作ったものと考えてよさそうだ。

「……とりあえず、鈴仙が作ったものだという事は信用しよう」
「そこから? ……まあ、信用してくれるなら何でもいいわさ。全く、疑い深い男は嫌われるよ?」
「君たち二人が相手だからだよ。僕がここまで用心深くする理由が分からないようなら、今までの君たちの行為を閻魔あたりに評価してもらうといい。……さて、それじゃあ僕は――」
「はい、あーん」

――食事をするから、君らはもう出て行ってくれないか。
そう言おうとした霖之助の口の前に、何故かおかずが摘まれた箸が差し出されていた。
ゆっくりとその箸を持つ指を目で追い、腕、そして顔に至って、ようやくそのふざけた事をしているのが、いつの間にかベッドのすぐ傍の椅子に座り、如何にも機嫌の良さそうにニコニコしている輝夜であることを理解した。
――この永遠亭に入院してから幾度となく吐かれた、膨大な呆れを含んだ溜息がまた、霖之助の口を衝いて出た。

「……何の真似だい? 輝夜」
「何って……あれ? ねぇてゐ。私くらいの美人に『あーん』なんてされたら、普通悶絶ものじゃない?」
「普通はそうですけどね。もしかしたらこの店主は、年増は嫌いなのかもしれません」
「ぐはぁっ!」

ぽろり、と箸を落とし、輝夜が大げさに椅子から崩れ落ちた。
随分と勝手な憶測を口にするてゐだが、輝夜の馬鹿げた行為を、自身の手を煩わせることなく止めさせたところは評価してやらないでもないか、と、崩れ落ちて「よよよ……」などと嘆いている元月の姫を見て、霖之助は思った。
そこに、本来は高貴であるはずの『姫』の面影は少しもなかった。
と言うより、本当に姫だったのかとも、霖之助はそろそろ思い始めていたのだが。
話に聞く竹取の姫とは、余りにも違い過ぎる。
同一人物のはずなのに。

「そ、そんな……それを言われたら、私、もうどうにも出来ないじゃない……」
「全く罪な男よね。月の姫を泣かせるだなんて」
「誤解を招くことは言わないで欲しいね。泣かせたのは他でもない君じゃないか、てゐ」
「……さて、そんな変わった性癖の店主には、この幸せ白兎が直々に食べさせてあげる」

霖之助の言葉はさっくりと受け流し、輝夜と入れ違いに、てゐはひょこりとベッドの隅に腰掛けると、輝夜がやっていたのと同じようにおかずを箸で摘み、それを霖之助に差し出す。
ご丁寧に、愛らしく左手を添えて。

「はい、あーん。……あ、間違っても私は食べるなよ? いくら店主の性癖ド直球だったとしても」
「……無駄だと思うが、一応言っておく。僕は別に少女趣味じゃあない」
「いやいや、そういうのは本人も分からないものさね。店主の客層を考えたら」
「…………いや、客層は全く関係ないだろう?」

そんなバカな、と即座かつもっと強く否定しようと思った霖之助だが、よく香霖堂を訪れる客や常連の顔を思い浮かべる。
そしてその中に霊夢や魔理沙、レミリアやナズーリン、朱鷺子といった、確かに見た目は年端もいかぬ少女がいることを思い出し。

――確かに、何も事情を知らない連中が見たら、邪推しそうなものか……。

そう思ってしまったが為に、若干語調が弱まってしまったのは否めなかった。
あくまで客層は客層であり、霖之助の女性の好みなどとは微塵も関係ないのではあるが、世知辛いか、世間体というものはそういうものである。

「それよりほれほれ。早く大人しく口を開けて全てを受け入れてよ。幻想郷の如く」
「……いや、この通り手は健常だ。そこまでの介護は必要ない」
「むー。何て頑固な店主」

どうあっても口を開きそうにない霖之助に、てゐは頬を膨らませる。
その仕草自体は存外可愛らしいのだが、内面が真っ黒すぎるせいでとても正当な評価は下せそうにはない。

――しかし、やはり病室に入れたのは失敗だったな……。

いくら耳障りだったとは言え、あのまま放置しておいた方が面倒が少なかったかもしれない。
今更後悔しても遅いが、それだけが悔やまれる。
あくまで事後対処でしかないが、どうやってこの面倒な二人を追い出そうか、と霖之助は考え始める。
――と。

「あの、すみません店主さん。こっちにてゐが来てませ――」

がらり、と、鈴仙がやってきた。
その目がはたり、とてゐと霖之助を捉え、そして固まった。
如何にも仲睦まじそうな事をしている二人――その片方は、えらく面倒そうな顔をしてはいるが――を見て、やがてわなわな、と鈴仙の肩が震え出した。

「あ、鈴仙」
「……てゐ。何、してるの?」
「何って……店主の食事のお世話。お約束とも言う」
「何がお約束ですか!」

小首を傾げ、小動物らしい仕草でそう返すてゐに、鈴仙は霖之助が聞いた事のない大きな声で叫びながら、すたすたと霖之助の方に歩み寄り、箸を取り上げた。

「もう! 用意した店主さんのお昼がなくなってるから、何してるかと思えば……」
「いやいや、だって普通、こういうのってやっておかないと、逆に店主に失礼だと思うんだけど」
「そんなわけないでしょう? ……はぁ。もういいから、外出ましょう。店主さんの邪魔しちゃいけないでしょ?」
「とか何とか言ってー。本当は羨ましいと思ってるくせに」
「て、てゐ!」
「きゃー、逃げろー!」
「あ、こら、待ちなさい!」

言うが早いか、まさしく脱兎の如く、てゐは病室を駆け出していった。
後を追いかけ、顔を真っ赤にした鈴仙も走り去る。
何もそこまで冗談を真に受けなくともいいだろうに、と、鈴仙の背中を見送りながら思う。
あんな冗談を真に受けるとは、鈴仙も存外可愛らしいものだ。
――まるで嵐が去ったかのように静かになった病室で、訥々とそんな事を思いながら、ようやく霖之助は自分で箸を取った。

「ああ……ようやく、静かに食事が出来る」

先ほども言ったが、鈴仙の食事は中々に美味い。
生命維持の食事が必要ないが故に、食にはそれなりにこだわる霖之助が言うのだから、その腕に間違いはないだろう。
鈴仙の意外な一面、とでも言うのかもしれないが、永琳が前に言っていた『家庭的な子である』ということに嘘偽りはなさそうである。
人見知りではあるが、真面目で世話好きそうでもあるし、嫁げば間違いなくいい妻になれるだろう。
本人にその気があるのかは謎だが、将来が実に楽しみである。

「うう……私は年増じゃないわよ……。ちょっと長生きしすぎただけじゃない……」
「と言うか、君、まだ泣いてたのか」


 ◇ ◇ ◇


――午後になると、また来客があった。
派手に病室の扉をぶち破るようにやってきたのは、たまたま外の世界の文房具を見繕いに来て、そこで初めて霖之助の入院を知ったと言う慧音と、慌てた様子で永遠亭に向かう慧音に事情を聞いて同じくすっ飛んできた、二人の馴染みである妹紅だった。
入院と聞いて何を想像したのか、顔を真っ青にしながら慧音と妹紅が飛び込んできた時、霖之助も鈴仙も最初何事かと思ったくらいだ。
――尤も、ベッドの上で片足を吊りながらも、いつもと同じように鈴仙から借りた医術入門書を読んでいた霖之助を見て、二人はすぐに現状を理解したらしく、安堵の溜息を漏らしていたのだが。

「な、何だ、いつも通りじゃないか。てっきり起きてられないくらいのことがあったから、入院したものだと……」
「まぁ、確かに僕は滅多に病になんかならないからね。そう思うのも無理はないが、いくら何でも慌てすぎなんじゃないのかい、慧音。貼り紙にも明後日まで、と書いてあっただろうに」
「う……す、すまん」

今は椅子に腰掛けた慧音が肩を縮める。
振り返るとやはり恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして慧音は俯いていた。
まぁ、霖之助としても心配されて決して悪い気分にはならないため、それ以上は不問としておくことにした。

「……で、何でこんな怪我をしたんだ? 香霖堂らしくもないな。例の仕入れの途中でヘマでもやらかした?」

そう尋ねたのは妹紅だ。
慧音について永遠亭にまで来たのはいいが、やはり永い間殺し合いを続けている輝夜が統治する総本山にいるのは居づらいのだろう、先ほどから妙にそわそわしていたのだが――。

「……まぁ、ヘマと言えばヘマなのかもしれないけどね。ちょっと輝夜の悪戯に引っかかってね――」
「あんのボケがぁぁぁぁ!!」
「あ、こら待つんだ妹紅!」

霖之助の言葉を全て聞くより早く、どかぁん、と慧音が飛び込んできた時よりも激しい音を立て、妹紅は病室からすっ飛んでいった。
それを制止するために慧音も妹紅を追いかけたのだが――。

「――」
「――」

どごぉん、と永遠亭のどこかが破壊される音が、その振動と一緒に病室まで響いてきた。
しかも、それは一度や二度ではなく。
至る所から爆発音と破壊音を響かせながら、やがてその音源は竹林の方へと移動していった。
――結果だけ見るに、どうやら慧音の制止は全く効果がなかったらしい。
未だに感じる地響きのような振動を、あっと言う間に静かになった病室で二人、霖之助と鈴仙は感じていた。
今が夜だったら、間違いなく竹林には鮮やかな炎の不死鳥が綺麗に見れたことだろう。

「……すまないね、鈴仙。僕の知り合いがとんだ迷惑をかけているようだ」
「……いえ……店主さんが怪我したのは、元はと言えば姫様の悪戯が原因ですから」
「そう言ってくれると、僕としても助かるよ。……ああ、そう言えばもう昼になったけど、今日は随分といい天気だね」
「ええ、そうですね。空がとっても青いです」

――やがて二人とも、それら現実から目を逸らすことを選んだ。
今日の幻想郷は、いい天気であった。


 ◇ ◇ ◇


そして、夜。
今度は鈴仙が病室にいたおかげか、昼のようなゴタゴタもなく、無事に夕食が済んだ後の自由時間になって、ようやく病室は本来の入院施設としての落ち着きを取り戻していた。
今は霖之助と鈴仙だけが病室に居り、鈴仙が定刻の検診を行い、それを例の『かるて』にまとめている。

「――ふぅ。ようやく落ち着いたな……」

――結局、慧音、妹紅の後にも、また来客があった。
あの二人が部屋を飛び出していった後に、霊夢と魔理沙がまた戻ってきた上、さっきまで病室に居座っていたのだ。
その少し後には命蓮寺の毘沙門天主従が、更に日が沈んでからは紅魔館主従がやってきた。
それだけの顔ぶれが集まってしまえば、いくら病室であろうと静かになるようなはずがなく。
文字通り喧騒の時間を、最後まで居座っていた霊夢と魔理沙が帰るまで霖之助は過ごしていたことになる。
勿論退屈ではなかったが、動けない今の自身の状況も相まって、もう少し静かにならないものか、と両手の指の数以上は思っていたと言わざるを得ない時間ではあったが。

「……しかし、今日のあの子らは少し妙だったな……」

霖之助が呟くのは、その台風のようだった見舞い客の様子についてだ。
と言うのも、ここに来る皆が皆、何故かこそこそと内緒話をした後に、決まって鈴仙に妙な視線を向けていたような気がするのだ。
霊夢と魔理沙が午前中、こそこそと内緒話しながら鈴仙に向けていたものと同じもののように、今振り返れば思う。
霖之助自身、余り他人の感情には鋭くないために断定は出来ないが、その目に込められた感情は、どこか羨ましがっているようであり、また悔しがってもいるようであったように思えた。
――正直に、誤解を恐れずに言ってしまえば、正しく己の仕事を全うしている鈴仙を羨ましがる道理ならば霖之助は理解できるが、それを悔しがる道理は何一つ理解できない。
辛うじて理解できるとすれば、それは鈴仙と同じ生業を持つ者であり、かつ鈴仙が自身より腕がいいライバル相手であるという場合のみだ。
その場合、相手の優秀さに悔しさや妬みを感じるのは分かるのだが、霊夢や魔理沙、星やナズーリンにレミリア、咲夜が同じ生業であるはずはない。
つまり、この仮定に基づく用な理由での視線ではなかった、ということだ。
――ただ一つだけ彼女らの行動を理解できるはずだった仮定が一瞬で崩れ去り、その理解不能さに、霖之助はゆるゆるとそれについての思考を止めた。
子供連中ならともかく、比較的常識的な思考、行動をとれる星や咲夜までもが同じ行動をしていたという事実が、更に理解不能に拍車をかける。
分からないことは考えない。
それはいつものことだ。
それに正直、割とどうでもいいことにしか思えないことでもあった、という理由もあるが、考えを放棄するという結論で言えば一緒であった。

「……まぁいいか。しかし、今日は騒がしくて済まなかったね、鈴仙。他に入院患者がいなかったのが唯一の救いだったよ」
「あはは……まぁ、そうかもしれませんね」

こちらに背を向けて作業している鈴仙だが、声の口調から苦笑しているのが霖之助にも分かる。
強くは言っていないが、やはりそう思うところもあったのだろう、ということが簡単に予想できた。
そう思うと、真面目に仕事をしていた彼女には申し訳ない、とも思う。

「……でも、店主さん、結構色んな人と知り合いだったんですね。紅魔館は知ってましたが、人里のお寺にも知り合いがいたのは、私も知らなかったです」

くるり、と鈴仙は霖之助に向き直り、すぐ傍まで歩み寄りながら言う。
――口元は笑っていたが、その目は、どこか憂鬱に染まっているように見えた。

「ん? ああ、そうだね。あそこは本当にごく最近、知り合ったばかりだから、君が知らないのも無理はないさ」
「……そう、なんですか」

何ともなしに答える霖之助だが、鈴仙の表情はやはりどこかぎこちない。
まるで何かを堪えているかのような表情をしている。
それに、声にも午前中のような張りがない。
そこまで普段の様子と異なっていれば、さすがに霖之助も少し、鈴仙の様子が妙なことに気付く。

――そういえば、昨日今日とずっと僕の世話をしっぱなしだったからな……。

霖之助が真っ先に疑ったのは疲労による体調不良だ。
昨日、そして今日と、どうしても外せない用以外は、鈴仙はほぼこの病室に付きっきりであった。
いくら性格が真面目であり、そして永琳から与えられた仕事であるために張り切っていた鈴仙でも、負担のかかる病人の世話に加えて、喧しい見舞い客がいてはいらぬ心労までかかってしまったことだろう。
全くもって申し訳ないことをしたものだ。
木乃伊取りが木乃伊に、と言うわけではないが、患者を看病している医師が倒れたら、それこそ笑い話にもなりはしない。

――やはり場合と状況によっては、もう少し毅然とした態度で注意すべきか。

言っても無駄、と諦めてはいたが、自分以外の誰かに迷惑をかけるようならば、それが自分の店の上客であっても注意すべきであろう。
咲夜や星がいたため、自分の代わりに手綱を引いてくれるだろうと楽観視していた自分にも責はある。
この入院生活は恐らく明日で終了するが、次からの彼女らの来店時に活かすべきだろう。
そう心に決めながら、霖之助は鈴仙にちょいちょい、と手招きをした。

「鈴仙。ちょっと屈んでもらえるかい?」
「? はい……あの、何か……っ!?」

霖之助の手招きに、素直に鈴仙はその身を屈め、自身の目線を霖之助のそれと合わせた。
直後、ふんわりとした手のひらの感覚が鈴仙の後頭部に、ひやりとした感覚が額に添えられた。

「――っ!?」

まるで風邪で寝込んでいる病人に対してそうするように、霖之助は鈴仙の後頭部を左手で押さえながら、右手で額の熱を計っていた。
その仕草が余りに自然で、かつ思ったよりも心地良いひんやりとした霖之助の手のひらの感覚に、完全に鈴仙は言葉を失った。

――え、あ、え? な、何これ? 何でこうなって……? あ、でも店主さんの手のひら、冷たくて気持ちい……じゃなくて!

言葉だけでなく、思考までいつも通りの回路を失い、鈴仙はただ内心であわあわと慌てるだけで、体はぴくりとも動かない。
心臓が長い距離を走った直後のように早鐘を打つ。
その心音が予想以上に大きく感じ、それこそ霖之助にも聞こえてしまうのではないだろうか、といらぬ心配をするほどだった。
が、それも所詮は杞憂だったのだろう、ほんの僅かな時間の後、その手は両方とも鈴仙から離れていった。
――それが安堵すべき事なのか、それとも悔やむべきことなのか、それすらもその時の鈴仙にはよく分からなかった。

「ふむ。まぁ熱はないようだね。だとしたら、やはり疲労か。今日はずっとここに付きっきりだったからね」
「あ……え、と……」

顔を真っ赤にし、全く口が回っていない鈴仙を少しも怪しむことなく、霖之助はいつも通りの真顔で言う。

「消灯時間にはまだ早いかもしれないが、今日はもう休むといい。僕も今日は少々、騒がしくて疲れてもいる。無理に起きているつもりはないしね」

ただ、霖之助は淡々とそれを口にする。
言い方は如何にも無愛想ではあるが、その身を案じているのだけは、鈴仙にも感じ取れた。
――だから、言えなかった。
随分とたくさんの少女たちに慕われている彼が、今日ずっと、どこか遠く感じていたのだなどと。

「……そ、そう、ですね。そう、します。それじゃ、今日はお休みなさい、店主さん!」
「む? あ、ああ。おやすみ」

言うが早いか、まさしく言葉どおり脱兎の如く、鈴仙は病室から駆け出していった。
その速さと言えば、昼間の妹紅のものと比べても全く遜色はないだろう。
恐らく霖之助の返しの言葉も聞こえていなかったことだろう。
――それくらい、慌てていたからだろうか。
鈴仙は消灯時に行うべき色々な事を、思いっきり忘れていってしまったまま、鈴仙は行ってしまった。
普段の来店時の印象と、この二日、何事もきっちりとこなしていた姿を見ていた霖之助からすれば、また鈴仙の意外な一面を目にした気分である。

「……扉が開けっ放しで灯りをもつけっぱなしなんだが……どうしたものか」
「どうしたものか、じゃないよ。店主、そのうち月のない夜道で後ろから誰かに刺されるよ?」
「……いつからいたんだ? てゐ。それと、怪我人に向かって余り物騒なことを言わないでくれ。刺される心当たりはまるでないよ」
「……そんな事ばっかり言ってるから、刺されるんだって言ってるんだけど」

はぁ、と大きく吐いた溜息を隠すこともなく、てゐはのそのそとベッド下から這い出てくる。
――ちなみに、この病室の入り口は霖之助のベッドからもよく見える位置にあるため、誰かが入ってくればすぐ分かる。
すぐ分かるのだが――この幻想郷の詐欺兎がベッドの下に潜り込んだのには、霖之助は今の今まで全く気付かなかった。
鈴仙も指摘しなかった辺りを見れば、彼女も気付いていなかったのだろう。
もしかしたら、この病室のどこかに隠し通路があるのかもしれない。
忍者屋敷でもあるまいに、全くもって落ち着かないものである。

「まぁいいよ。ほれほれ、後片付けは私に任せて、病人はさっさと寝るといいよ」
「……」
「……何? もしかして、この期に及んでまだ疑ってる?」
「いや、君の行動を鑑みたら、いつ何時仕掛けてくるか分からないからね。用心に越したことはないということさ」
「……うぅぅ……この店主、本気で鬼畜な奴だわ。皆、何でこんな唐変木を気に入ってるのか、割と本気で全く理解出来ない。みんな被虐体質持ちなのか……」
「全部聞こえてるぞ、てゐ」
「聞こえるように言ってるんだけどね」

泣き真似をし、かつ憎まれ口も叩きながら、てゐはトコトコと鈴仙のやり残していった後片付けを始めた。
霖之助は念のため、その一挙手一投足を終わるまでじっと見張ることにした。
他の誰かならともかく、この兎に関して言えば、相手が信用した瞬間の心の隙間、本人すらも意識していない空白に忍び込む技量が天才的なのだ。
信用してバカを見るのが自分ならば、少々可哀想でも心を鬼にして、いらぬ悪戯を防ぐ方が余程いい。

「ふんふーん」

鼻歌を歌いながら、鈴仙が何事か書き留めていた『かるて』を手際よくまとめ、体温計などの器具をまとめていく。
――その一挙手一投足を警戒しながら見ていたからだろうか。
意外なまでのその手際の良さに、霖之助は素直に驚いていた。
てゐは一応永遠亭に属してはいるが、あくまで協力者という立場上、それほど医術面に関わっている印象を持っていなかった霖之助からすれば、それは余りにも意外に映って見えたのだ。

「……ふむ……」
「ん? ……何だ、まだ見てたの? いくら何でも用心深すぎるよ」

半ば呆れているのだろう、それは深い溜息を吐きながら、てゐは隠すこともなく顔を顰める。
だが、霖之助は特に気にする素振りもなく。

「いや、君の意外な手際の良さに素直に驚いているのさ。偶に診療所の方を手伝ったりしてるのかい?」
「まぁね。逃げる事の方が多いけど、お師匠様から毎度毎度逃げるのは中々面倒だったりするし。やってりゃ手際も良くなるわさ」
「なるほど。全くもって勿体無いね。君のその行き過ぎた悪戯癖さえなければ、なかなか優秀な看護士がもう一人増えるだろうに」
「冗談きついね。私の本分は看護士じゃないよ」

器具を片付け終え、てゐはまたベッドの傍までやってくる。
ずっと霖之助が寝っぱなしだったため、少々乱れた布団とシーツを直し、ほれほれ、とてゐは手振りで寝るように指示してくる。

「店主、あんたが寝てるこのベッドの整理、それと消灯で最後だよ。もういい加減さっさと寝てくれない?」
「そうだね。……念のために言っておくが、ここに来てまで悪戯するつもりはないだろうね?」
「……しつこい男は嫌われるよ。そうもしつこいと、こっちもいい加減やる気もなくなってくるよ」

正に辟易、という言葉が似合うように、てゐは顔を歪める。
そうは言うが、そうしても尚信用出来ないのがこの兎だ。
――なのだが、てゐの言う仕事は、もうこの部屋の灯りを消すくらいしか残っていないのも確かだ。
まだ心配の種はあるが、いい加減眠った方がいいのかもしれない。

「ああ、もう横になるとするよ。――まぁ、一応礼は言っておくとしよう。鈴仙の代わりにやってくれて助かったよ、てゐ」

ぽす、と霖之助は、鈴仙のものよりも遥かに本物っぽい耳が生える頭に手のひらを置く。
若干癖が強い髪の毛を撫でながら梳くと、幸せの白兎らしい耳がくすぐったそうに揺れた。

「……はぁ。あんた、本当に夜道には気をつけた方がいいよ。割と本気で」
「ふむ。君こそ、まだそんな事言うのかい? 心当たりはないと言うに」
「……もういい。まぁ、永遠亭にいる間は大丈夫だけど」
「?」

はぁ、と深く溜息を吐いたてゐに、霖之助は相変わらず首を傾げた。

――そして少しの後。
永遠亭に備わっている病室の一室の灯りが落ち。
やたらと騒がしかった一日の終わりを、闇の帳は告げた。


 ◇ ◇ ◇


翌朝。
霖之助は朝のうちに、香霖堂から妖怪兎に持って来てもらった僅かな雑貨をまとめていた。
今日は晴れて退院の日である。
永琳は『特に深刻な合併症が確認出来なかったら退院できる』とは言っていたが、この二日、自身の体に全くの異状はなく、鈴仙から永琳への報告も『異状なし』であったことを考えれば、問題なく今日に退院できるだろう。
入院している間、世話になった患者服から、いつもの衣服へと着替え――左足のせいで少々着替えるのが大変だったが――、脱いだ患者服はしっかり畳んでおく。
あっと言う間に帰りの支度を調えると、ちょうど終わった頃に永琳と鈴仙がやってきた。
永琳はしっかりと帰りの支度をしている霖之助の姿を見ると、呆れ半分、といったように苦笑した。

「おはよう、森近さん。……そんなに早く帰る準備をするなんて、ちょっと気が早過ぎるんじゃないのかしら?」
「あぁ、八意女史に鈴仙か。おはよう。なに、備えあれば、ってやつさ。特に異状はないはずだから、今日には帰れるんだろう?」
「えぇ、それはそうなんだけど……別にもう少しマシな状態になってから退院してもいいものだと思うのだけど」

特に今回は永遠亭の身内が引き起こした悪戯が原因となった入院であるため、治療費等を負担していない霖之助からすれば、もう少し治るまでは居座るのが普通だと思うのだが、どうやらこの半妖の男はそういった普通には当てはまるつもりは毛頭ないらしい。

「まぁ普通ならそうするだろうね。しかし、如何せん、ただ横になっているというのは予想以上に苦痛でね」
「あら、言ってくれれば何か暇つぶしの本くらい貸し出したのに。まぁ医術書ばかりだけど、貴方なら読めるでしょう?」
「まぁ読めないこともないし、少々興味もあるが、やっぱり店が心配だからね。それに僕がいると、場所を考えない元気な連中が押しかけてくる」
「……そうねぇ。偶にはいいんだけどね」

永琳が思い浮かべるのは、昨日の昼に突然起こった、屋敷の破壊事件だ。
今頃兎たちが突貫工事で修復に当たっているが、確かにあんなのがそこそこの頻度で来られたら困る。
――それにこの店主には、いかに言葉を尽くして延期を仄めかしても、恐らくは徒労に終わるだろう、とも、永琳は薄々感じていた。
まぁある程度は始めから分かっていた事ではあるが。
明らかにいつもより静かな弟子のために、というわけでもないが、患者がはっきりとそう言った以上、致し方ないだろう。

「……まぁいいわ。うどんげから貴方の経過報告は聞いていたけど、その報告でも見た感じでも、特に問題なさそうね。退院を許可するわ」
「あぁ、ありがとう。本当に短い間だが、世話になったね。八意女史、鈴仙」
「あ……いえ……。こちらこそ、色々と勉強になりました」

霖之助からの珍しい素直な礼に、鈴仙の答えは実に当たり障りのない。
――大方、何を言ったらいいのか分からないのだろうと、永琳は予想をつけた。
『無難』、『安定』というのは、裏を返せば『退屈』、『つまらない』ということにも直結しかねないのだということを分かってはいるのだが、かと言って何か代わりに気の利いた事を言うことも出来ないのだろう。
頭はいいのだが、やはりこういう時に性格が出るものだ。
いっそのこと、鈴仙とてゐを足して二で割ったらちょうどいいのかもしれなかったが、所詮は空想である。

「さて。それじゃあ帰りは前と同じことにならないように、うどんげに竹林の入り口まで送らせるわ。あと……一応、姫様の悪戯は見つけられる限りは回収させたけど、まだ全部撤去できた確信は持てないの。だから、貴方は気が進まないだろうけど、保険としててゐを随行させるわ」
「呼びましたか、お師匠様ー?」
「きゃっ!? ……いつの間にそんな所にいたの? てゐ」
「……また君か」

じゃじゃーん、と、これまた妙な登場音を伴って、てゐは昨日の夜と同じようにベッドの下から這い出てきた。

――この悪戯兎は、またいつの間に潜り込んでいたのだろうか。昨日、確かに消灯した後に出て行ったはずだが……。

昨日の夜、霖之助はてゐが後片づけをするその一挙手一投足をしっかと確認し、その時に確かにこの病室を後にしていくのも、きちんと確認していた。
そして今朝、霖之助が目覚めてから永琳と鈴仙が来るまで、この病室には誰も入ってきた気配はなかったはずのだが、またしても気付かれずにベッド下に潜り込んでいたてゐに、もはや諦めと呆れ、そしてほんの少しの賞賛を含んだ溜息しか出てこなかった。

「……てゐ。またしても無駄だと分かっているが、一応聞いておく。いつの間に入り込んだんだ?」
「あれ、そんな事を女に言わせる気? 昨日の夜はあんなに宜しくしてたのにぃ」

くねり、と、てゐは姿相応の見た目とは全く釣り合わないようなしなを作る。
そんなてゐに、霖之助はやはり溜息で答える以外なかった。

「……僕の記憶には全くないけどね。あんまり嘘ばっかり言ってると、閻魔に抜かれるのが舌ばかりでは済まなくなるぞ」
「……ちぇー。この店主、ちっとも顔色変えないからつまんない」

てゐは霖之助だけでなく、永琳や鈴仙の表情も目にして、そしてつまらなそうに口を尖らせる。
皆が皆、てゐの言っている事は流石に嘘だと分かっているのだろう、苦笑していた。
そんなてゐのいつもと余りにも代わらない様子に、霖之助は昨日の夜の意外な手際の良さに少しでも感心した自分が、何だか実に馬鹿らしく思えてくる。
やはりいくら意外な面があろうとも、心の根底は悪戯好きな白兎そのものなのだろう。
ほんの少しでも黙っていればいいものを、と思わずにいられないが、物静かなてゐというのも、確かに余り想像できなかった。

「さて。そんな所にいたから話は聞いてたと思うけど、森近さんを竹林入り口まで送ってきてもらえるかしら。森近さんは半分だけど、貴方の幸運を呼ぶ能力も無いよりいいでしょうし」
「あー、まぁそうかもしれませんけどね。この店主、基本的に私を全く信用してないので、それが更に半分になるかもしれませんけど」
「ゼロよりマシよ。それじゃ、二人ともお願いするわね」

はーい、と仲良く揃った声に、霖之助は久々に自分の足で地面へと立ち上がった。
無論、両足ではない。
左足は固定されているため、間違って体重がかかっても少しくらいなら大丈夫だが、まだ両足で歩けるような状態ではない。

「あ、まだ松葉杖無いのに立ったら危ないですよ、店主さん。はい、これ」
「ああ、ありがとう」

自らの足で地面に立つという、当たり前の事が当たり前のように出来る事に充実した気持ちを覚えながら、霖之助は鈴仙が手渡してくれた松葉杖を受け取った。
慣れない格好だが、この状況では何を言っても仕方が無い。
不恰好ながらも何とか病室の入り口まで辿り着くと、そこで一旦、後ろを振り返った。
僅かな期間ではあったが、確かに世話になった病室と、そこに佇む永琳を。

「――改めて、世話になったね。余り来る機会はないだろうが、これからは何かあったら足を運ぶとするよ」
「あら、ありがとう。……まぁ、ここで『またのご来店を』と言うのは、いくらなんでも縁起が悪いわね」
「ああ、全くだね。……それじゃあ」
「ええ。お大事に」

ふ、と二人は薄く笑いながら、今度こそ霖之助は病室を後にした。
それを病室から見送るのは、主治医である永琳ただ一人であった。


 ◇ ◇ ◇


「ふぁ~……おはよー、店主ー。早速遊びに……って、あれ。いないし」

のそのそと、つい先ほど出て行った弟子二人と患者一人と入れ違いに病室にやってきたのは、輝夜だった。
明らかに寝起きという顔をしているが、少なくとも身内でない異性に見せるような顔でないことは間違いない。
――尤も、あの店主も、そんな事は全く気にしそうではないため、別にいいのかもしれないが。

「おはようございます、姫様。森近さんなら先ほど、退院されましたよ」
「こんなに早く? 全く、気が早いわねぇ……せっかく面白そうな暇つぶしが来たって言うのに……。どれ、ちょっと追いかけて――」

のそり、と玄関へと向かおうとした輝夜の首筋を、がっしりと掴む手があった。
まるで亀のようにゆっくりとその手の主を振り返る。
勿論、永琳であった。
怒っているようにも見えるが、それは輝夜の気のせいかもしれない。
――気のせいであって、欲しかった。

「……何かしら、永琳」
「それはこちらの台詞ですよ。一体どちらに行かれようとしてたんです?」
「あー……その、ちょっと朝の散歩にでも?」
「あら。てっきり私、また森近さんを追いかけようとしているのかと思いました。もしそうなら、仮にも永遠亭に招いた客人に怪我をさせたことを懲りてらっしゃらないようなので、またお説教かと思ったんですが、そうではないんですね?」
「あはは。そんなわけないじゃない、永琳。貴女の説教でこの輝夜、それはもう心の底から反省したのよ? そんな事あるわけないじゃない」
「ああ、そうですよね。流石に姫様も、三刻みっちりお説教されたなら、分かっていただけると思っていたんですよ。安心しました」
「うんうん。……ところで、そろそろ放して欲しかったりするんだけど……」
「あ、これから散歩、つまり軽い運動をなさるおつもりだったなら、ちょうどいいですね。今からこの病室の後片付けをしようと思っていたんです。――勿論、手伝って頂けますよね?」
「はーなーしーてー!」

ずるずる、と、まるで蟻地獄にかかってしまった哀れな蟻の如く。
輝夜は抵抗空しく、病室へと引きずり込まれていってしまった。
――そして、悟った。
やはり永琳の前で嘘は吐くものではない、と。


 ◇ ◇ ◇


これから向かうのは、三日前に中途で断念せざるを得なかった、自分の城への凱旋の道であった。
あの時は足二本、身一つで向かった道のりを、今は足が七本、身は三つで、ゆっくりと向かっている。
真ん中が頭一つ抜きん出て高く、その左側に小柄な兎、その右側に、左側よりは背の高い兎が、三人並んで歩いている。
まだ朝が早いせいで、竹林は乾ききっていない露に湿っており、随分と歩きづらいが、その分、景色としてはどこか幻想的でもあった。

「しかし、店主も災難だったね。よりによって姫様の罠にひっかかるなんて」

そう、ぽつりと呟いたのはてゐだ。
もうあれから三日ほど経つのが何故か懐かしいと感じてしまう。

「災難どころじゃないが、あの一件で悟らせてもらったよ。やはりあの姫には付き合わないほうがいい、ってね。左足一本と言う高い代償を払う破目になったけどね」
「まぁ、姫様は大抵暇を持て余してるからね。今回の悪戯も、里から来る人間か鈴仙をちょっと驚かそうか、くらいの気持ちでやってたんだけど、まさかあんなのも作らせたなんて聞いてなかったんだけど――」
「……ん?」
「……え?」

そう呟いたてゐの言葉に、「ん?」と妙な違和感を感じたのは、霖之助と鈴仙だった。
その口ぶりは、如何にも罠を作っていたその場にいました、というふうにも聞こえるものだったのだが。

「……」
「……」

自然、霖之助と鈴仙は、互いに視線を交わし合う。
――そして、その動作と目線だけで、お互いが感じたものが同じであることを、悟った。

「……ねぇ、てゐ。何だか姫様と一緒にあの罠を作ってたみたいな風に聞こえるんだけど……まさか、あなた」
「……げ」

鈴仙の指摘で返ってきたのは、その僅か一音だけの返事。
だが、全てはそれだけで十分すぎた。

「……なるほど。君も関わってたのか。いくらあの姫でも、自分で作らせた罠に自分でかかるほど阿呆ではないだろうとは思っていたんだが……」
「……てゐ。まさか、店主さんが落ちた穴を作ったのも……?」

じろり、と霖之助ごしにてゐに投げかけられる視線は、いつもの鈴仙のものよりも数段厳しいもので。
ただでさえ厳しい目線と、そして今にも赤みを帯びそうなその目に、てゐはさっ、と霖之助の陰へとその身を潜めた。

「そ、それは違うよ! あの落とし穴は私、知らなかったよ!?」
「……本当?」
「うん、本当! それは本当! だからその目やめて! 怖すぎるから!」

いつものような語尾に胡散臭い接尾語をつけるのも忘れ、てゐは半ば叫ぶように声を上げる。
――そう言えば、鈴仙の赤い目は狂気を操るのだったか。
以前、鈴仙と弾幕ごっこを繰り広げた霊夢から、鈴仙と戦っている時は周りの景色が歪んで見えた、という話を霖之助は聞いていた。
恐らくは、鈴仙の能力の影響を受けたためにそうなってしまったのだろう、とも、霊夢は言っていた。
霊夢ですらそうなるのだから、霖之助がその目を直視してしまった場合の影響というものは計り知れない。
何にせよ、てゐを懲らしめるだけであれば、もう十分だろう。
その本人は、あれほど憎まれ口を叩いていた霖之助の足の陰に珍しく隠れ、びくびくしているのだから。

「……まぁ、その辺にしてやってくれ、鈴仙。もう済んだことだしね」
「……店主さんは、怪我したのにてゐの方を庇うんですか?」

そう言って霖之助を見上げる目は赤くはないが、それでもほんの少しだけ不満そうに細められている。
レミリアだったら、ぷくーと頬を膨らませそうな雰囲気だ。
確かに、この場で正しい事を言っているのは間違いなく鈴仙なので、その気持ちも分かる。
分かるし、自分の代わりに注意してくれる鈴仙に、素直にありがたいとも思うのだが。

「庇うわけじゃないが、もう済んでしまった事を言っても仕方ないさ。一応、治療費の肩代わりはしてもらう形で代償は済んでいるし、これ以上は過分だよ。勿論、鈴仙が僕の代わりに注意してくれた事自体はありがたいと思っているけどね。……まぁ、本音を言えば、君の赤い目の話は聞いていてね。霊夢ですら影響を受けたその目を、何かの弾みで僕が見てしまうのを避けたい、というのもあるけどね」
「あ……その、すみません。別に本気で使うつもりはなかったんですが……」

しゅん、とさっきまでの様子とうって変わり、鈴仙は申し訳なさそうに肩を落とす。
霖之助からすれば別に怒っているわけでもないので、そう肩を落とされても逆に困るのだが、まぁ言ってみれば真面目な鈴仙らしい、といったところだろうか。

「分かってくれたならいいさ。そんなに悪く思うこともないよ。……しかしてゐ、君もいい加減、その旺盛過ぎる悪戯好きな性分を少し抑えた方がいい。いざと言う時に、今みたいに誰にも信用してもらえなくなるからね」
「……庇ってもらって何だけど、やっぱり店主、ちょっと口うるさ過ぎ。言われなくても分かってるわよ、そのくらい」

ぷい、とそっぽを向きながら、やはり少しも減らない口をてゐは叩く。
分かっているなら少しは抑えればいいのに、と思わずにはいられない霖之助だが、てゐは決して頭が悪いわけではないことを考えると、何か思うところがあるのかもしれない。
まぁ、この幻想郷にいる少女というのは大抵、霖之助の言うことなど聞きはしないのだ。
聞きはしないのだが――昨日の元気過ぎた見舞い客の一件もある。
言うべきところでは、やはりきっちりと言っておくべきだろう。

「……まぁ、完全に止めろとは僕も言わないし、君から悪戯好きを取ったら何も残らなそうだ。せめて他人に怪我をさせるような事さえ慎んでくれればいい」
「一言余計さね、店主。……ま、考えておく」
「……てゐの考えておくって、割と信用出来ないんだけど」
「あー、鈴仙までそんな事言う。全く、店主の世話ばっかりしてたから毒されちゃったんじゃないの?」
「誰が毒だ、誰が」
「あはは。……でも、もしかしたらてゐの言うとおりかもしれませんね、店主さん」
「……君までそんな事を言うのか、鈴仙」

他愛のない、取り留めのない会話が、さわさわと葉が鳴る竹林に響く。
三日前と同じように、どこか避けるように竹藪が道を示しているのは鈴仙のおかげ。
では、特に何事もなく帰れているのは、てゐのおかげなのだろうか。
それは霖之助の知るところではないが、こうして何事も無く帰途に着けるというのが、実はどれほど得がたいものかということが身に沁みて分かる。
――正直、永遠亭の主のせいで文字通り骨は折るし、入院自体も全く気乗りするものではなかったのだが、そういう意味では、僅か三日ではあるが違う環境で過ごしてみるというのも、そんなに悪くなかったのかもしれなかった。
そんなふうに三日間を振り返り、また何気ない会話を三人で続けていると、あっと言う間に竹林の入り口にたどり着く。
三日前に永遠亭を訪れた時はもっとかかったような気がするのだが、もしかしたら鈴仙やてゐと話しながら歩く、というのが、霖之助の思っていた以上に楽しかったのかもしれない。
そう思うと、霖之助も少しだけ名残惜しい気もするが、永琳の言いつけではここまでの送迎である。
それ以上は霖之助も望んではいないし、鈴仙もこれから永遠亭に戻り、やることがあるだろう。
――てゐは分からないが。

「……さて、ここまで送ってくれて助かったよ、二人とも」
「はい……」
「……ふん」

くるり、と霖之助は鈴仙とてゐを振り返る。
――入院している間、ずっと霖之助の世話をしていた鈴仙は勿論、あのてゐも、どこか寂しそうな顔をしていた。
二人――いや、あの永遠亭に居住する人たちにとって、滅多に顔を見せない永遠亭外部からの来客は、良くも悪くも刺激的だったのだろう。
入院する破目になった理由を考えれば素直に喜べはしない霖之助だが、そういう顔をされるというのも、決して悪い気はしなかった。

「後は歩き慣れた道だ。僕一人でも問題ないだろう。君らも、これから帰ってやることがあるだろうしね。……入院することになった原因を考えるととても喜べたものじゃないが、意外と悪くなかったよ」

永琳から退院を勧められても断った霖之助だが、悪くなかったというのは本当だ。
鈴仙やてゐ、輝夜や永琳と話す機会もいつも以上にあり、それは間違いなく有意義であった。
ただ、やはり動けずに横になっているというのが、想像を絶する以上に霖之助にとって苦痛でならなかっただけである。
決してつまらないから、というわけではない。
――それに、店にいた時には見ることが出来なかった鈴仙やてゐの意外な一面も目にする事が出来た。
知り合いの見えなかった一面が見れたというのも、今後の商売や会話の種になるかもしれないし、間違いなく友好を深めることは出来ただろう。
そう考えれば、十分に実りがあった三日間だったと言えるかもしれない。

「また僕の店に来るようなことがあったら、その時は歓迎させてもらうよ。鈴仙はともかく、てゐは機会があるかは分からないがね」
「まぁそうだね。鈴仙と違って、私は特に行く用事もないし」
「……」

くしし、と意地悪そうに笑う白兎の言葉に、何故か鈴仙は顔を俯かせて押し黙る。
――その頬がほんの少しだけ赤いのは何故だろうか。
特にてゐが変わったことを言ったようには聞こえなかったのだが、と、霖之助は僅かに首を傾げる。
だが、そんな鈴仙の反応に満足したのか、てゐは含み笑いを止め、代わりに霖之助の顔を、いつもより少し真面目な表情で見上げながら、ほんの少しだけ何かを考える素振りをして。

「……でも、どうせ竹林の入り口まで来ちゃったんだし。ついでだから、このまま店まで送ってあげる。ついでに来店、ってのはどう?」
「え?」
「……まぁ、そういう事なら僕は別にいいが。君はともかく、鈴仙は大丈夫なのかい?」

てゐとは違い、鈴仙には診療所での仕事や勉強など、やることがあるはずだ。
別に無理に、とは霖之助も言わないが、ここでてゐだけ、というのも気が引けるのは事実だ。

「え、ええっと……その、私も行きたいのは山々なんですけど……後片付け、とか……」

本当に行きたいのは山々なのだろう、言葉がどんどん尻すぼみになっていっている。
その様子は、見ているだけで何だか可哀想だと思えてくるほどだ。
――だが、そんな鈴仙に、てゐは笑いながら言った。

「ああ、それなら大丈夫だと思うよ。多分今頃、姫様がお師匠様に捕まって、代わりに手伝わされてると思うから」
「え? ……そ、そうなの?」
「うん」

瞬間、ぱっと鈴仙の顔が明るくなる。
――それ自体は大変結構な事なのだが、霖之助が退院してくる時、輝夜は一度も姿を見せていなかったはずだ。
なのに、そう断言できるのは一体何故なのだろうか。

「…… てゐ。なんでそんなにはっきりと断言できるんだい?」

すぐ隣で嬉々としている鈴仙に水を差すのも悪いと思い、霖之助はこっそりとてゐに尋ねる。
とても断言できる判断材料はないはずなのだが、一体どこに根拠があるのか、と。

「んー? ……まぁ、勘さね」

だが、てゐから帰ってきた答えは、これ以上ないくらいに無根拠な言葉だった。
――無根拠な言葉だったのだが、その割にはどこか自信たっぷりに、にやり、とてゐは悪戯をする時のような笑みを浮かべた。
なるほど、この笑みを見る限り、まだ姿すらも見せていなかった輝夜に対して、何か謀っていたのか、或いはそうなると予測できていたのか。
いずれにせよ、なかなかの策士である。
悪戯も詐欺も、頭が悪ければ巧く事を進める事は出来ない。
因幡の白兎の本領発揮、と言ったところだろうか。

「……全く、君も大概だね。ほとほと尊敬するよ」
「ん? それ誉めてる? 貶してる?」
「……この場合は、誉めてる方かな」

本当に機嫌がいいのだろう、にこにこと笑っている鈴仙を見て、霖之助は素直にそう思う。
――どうやら、今回のてゐの運んだ幸運は、霖之助ではなく鈴仙に向いたらしい。
まぁ、それはそれで良かったのかもしれない。
自分の店に来るのに嬉しそうな顔をしてくれるという事に、店主としても嬉しさを感じないわけではない。
それに――これほど嬉しそうにする鈴仙の顔も、霖之助は初めて見たような気がする。
また一つ、鈴仙の新しい表情を、霖之助は
知ったのだ。

「……さて。それじゃあ、店まで延長で頼むよ、二人とも」
「はい!」
「はいよー」

かつん、と松葉杖が地面を鳴らし、三人はまた歩き出す。
竹林の中と同じように、三人、並んで、ゆっくりと。


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コメントコメント


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続き待ってました!
鈴仙可愛い、こんな鈴仙を私は求めていた!
入院期間が約三日というのはまぁ骨折だから妥当なんだろうなぁ……
よし霖之助、次は肋骨だ!(嘘ウサ
楽しんで読ませてもらいました。有難うございました!

唯 | URL | 2010/09/10 (Fri) 07:17 [編集]


鈴仙とすごせるのなら全治1年でも大丈夫です( ^ω^)

しかしお見舞いに来る人数を見る限り霖之助は愛されてますね~。
羨ましいです。

豆腐屋 | URL | 2010/09/10 (Fri) 22:20 [編集]


姫ぇは犠牲になったのだ、あらたなフラグの犠牲にな

しかし霖之助は何人にフラグをたてれば気が済むんだww
てゐまでフラグが、てゐは道草さんのはるのあしあとのイメージが個人的にはでかぜ

猟奇王 | URL | 2010/09/11 (Sat) 00:57 [編集]


やっぱり淡色さんの作品は凄いです。思わずニヤニヤしてしまいますよ、まったく!さて、今度は妹紅も絡ませてくれると信じていますよ…(チラッ)

紫(ムラサキ) | URL | 2010/09/11 (Sat) 09:51 [編集]


ようやく忙しさも一段落で、お久しぶりの書き込み。自販機に千円飲みこまれて不幸続きなコモレビです。

生まれてこの方、骨折はやったことがないので、霖之助の怪我の具合をよく理解できないのですが……とにかくまあ、痛いのによく頑張った! 感動した! 落とし穴で骨折なんて、絶対にやりたくないなあ。
なんだかんだで心配されたり、看病されたりで羨ましいけど、いつまた姫と詐欺兎に襲撃されるのかと、はらはらしたりするお話でした。

最後に、だいぶ前に返信でいただいていたコメントについて。
>養分のもう一つの行き先が全く思い付かなかったという非常事態 orz
体躯の発達にも分不相応な膂力にもいかないなら、答えはもう鼠算式に増えるために必要な行為のためのエネルギ(ry
レミングよろしく隙間に飛び込んできますと残して、今回はこの辺で。
久しぶりすぎて書き込みがギクシャクした……申し訳ないです。

コモレビ | URL | 2010/09/11 (Sat) 18:02 [編集]


 
 

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