淡色の空

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光る紫


今回は某所にも上げました、『いい夫婦の日』を題材にした静霖です。
まぁ、結果から見れば思いっきり間に合わなかったわけですが…。

というわけで、こちらはいつものように保存庫のノリで。
以下よりどうぞ~。

(霖之助、静葉)



食欲の秋。運動の秋。読書の秋。実りの秋。
秋という単語が含まれる言葉は、実に多種多様だ。
しかしそのどれもが、『秋』という季節を的確に表現しているとも言える。

春から夏にかけて育てた稲穂は、秋にその黄金の頭を垂れ、実りを齎す。
そうして出来た十分な実りによって、人間は食欲が満たされることになり。
食が満ちて最低限の生命維持に見通しが立つようになれば、そこからある程度の肉体的・精神的な余裕が生まれる。
その余暇をどう使うのかは、後は各人次第だ。
身体を動かすもよし、読書をするもよし。
その選択肢はいくらでもあるだろう。

また、雅を詩と成す事を身上としてきた者たちは、秋という季節そのものを、感性溢れる言葉で風雅に表現した。
春と同じくらいに彩り溢れる風景のみならず、その彩りの中でも確実に冬へと向かっていく様に哀愁を見出し、それらを題として詠った和歌は、文字通り枚挙に暇がない。
探せば探すほど際限なく出てくるのだから、当時の風流人の目に映った秋というものが如何に心揺さぶるものであったのかは、論ずるまでもないだろう。


――ただ、まぁ。何と言うか。


その風流の一つである紅葉を司る静葉自身からしてみれば、自分の作り出した風景に美を感じてくれるのは、何と言っても嬉しいことに違いはない。
だが、その美を作り出す方法を、もし彼の人々が目の当たりにしていたら――そう思うと、正直自分でも苦笑せざるを得なかったりするのが、本音だったりするのだが。

「せーの……よっと!」

一瞬の溜めの後、踏み込んだ足を軸にしてキレよく腰を回し、遠心力を利用してもう片方の足を振り抜く。
直後、それを放つ静葉の見た目には到底似合わないような、鈍重な音が静かな森の中に響いた。
――その、見る者が見れば惚れ惚れするくらいに見事なローキックを受けたのは、夏のうちに燦々と太陽を浴びた葉を綺麗な紅色に染めた、一本の大樹だった。
がっしりと根を張り、幹も十分に太い樹は、折れる事無く静葉の蹴りをがっしりと受け止め、代わりに抗議するかのように枝を撓らせて、その化粧をはらはらと大地へばら撒いていく。
そうして樹上から地面へと、装飾品だった紅葉は地面の絨毯となって敷き積もり、これもまた秋の美の一つとなっていく。

「……まぁ、過程はどうあれ、風流には違いないんだろうけど」

その景色を苦笑交じりに眺め、静葉は一人ごちる。
正直、豪快で粗野なやり方だとは自分でも思う。
今はこの山の麓にある村落の秋祭りに呼ばれ、この場にはいない穣子にもよく突っ込まれる。
しかし、『じゃあ一つ一つ手で千切るか?』と言われたら、勿論ノーと言おう。
代替手段など、もう長い事神様をやっているのだから、とっくに幾つか試している。
その結果が今なのだから、これは寧ろ洗練された落葉手段なのだろう、と自分で自分の答えに納得する。
もし木々が口を利くのなら、多分毎年文句を言われているだろうが、その声が聞こえないのは僥倖だった。
あとこれが役に立った事と言えば、穣子と喧嘩したり、叱ったりする時に使える方法が増えたことくらいだろうか。
頑丈で重い木々を蹴っていたせいか、自分の蹴りの威力は神であることを差し引いても中々のものになっているらしく、少なくとも蹴る予備動作を見せるだけで、穣子は条件反射のような速さで逃げるか謝るかをしてくれるようになった。
なった、のだが。

「……それって、得してるのかしら、ね!」

呟きながら、別の大木を一蹴り。
こちらも見事な風切り音の一閃の直後に、重い悲鳴が響き、枝葉が揺れる音が続く。
その衝撃で、紅く色付いた葉がひらひらと中空を滑りながら落ちて――。

「わっ」
「……?」

不意に、葉が舞う音に紛れて聞こえた明らかな第三者の声に、静葉は次の樹へと向かう足を止めた。
――どこからだろう、とぐるりと周囲を見渡したが、視界に自分以外の人影はない。
となれば、残るは自分が蹴りを入れた箇所のちょうど幹を挟んで反対側しかない。
状況から推測するに、つい今しがた蹴り飛ばした木のすぐ傍に誰かがいたのだろう、と静葉はすぐに当たりをつけた。
静葉自身はわざとやっているわけではないのだが、偶々誰かが木陰で休んでいたその木に蹴りを入れ、驚かせてしまった事はこれまでにも何度かあった。
今回のもこれも、恐らくはその類であろう事は容易に想像が付いた。
――だが、今回のこれは、その『いつも』のものとは若干の差異があった。
これまで不本意にも驚かせてしまった相手は、山の中という場所柄も相まって、大人の男性であるものが殆どだった。
それ故に、その声というものは当然の如く成人男性のものが聞こえてくるのだが、今回のこれはどう聞いても子供のそれだった。
一応、まだ昼間ではあるものの、山の中腹くらいの場所に子供がいるというのは、そうあることではない。
尤も、逆に言えば無い事も無いのだが――その可能性を考えると、余り良い選択肢はない。
いずれにせよ、静葉が驚かせてしまった相手を確かめようとするのは、当然の行動であると言えた。

「……あら」
「……」

そうして、くるりと幹の反対側に回り込んでみると、静葉の予想通り、まだ年端もいかない子供がたった一人で、幹に背中を預けて座り込んでいた。
お世辞にも綺麗な身なりとは言えず、やや薄汚れた格好をしている、非常に目立つ銀髪が特徴的な少年だった。
そんな少年の、これまた非常に目立つ、そこだけ妙にぎらついているように見える金色の瞳が、見下ろす静葉の視線と中空で一瞬交錯する。
――だが、その子は沈黙を保ったまま、すぐに静葉から視線を外すと、元々そうしていたのだろう、再び正面へとその視線を固定させた。

「……こんなところで何をしてるのかしら? あまり村から外れると、危ないわよ」

その様子を見るに、どうやら自分の悪い予想――所謂捨て子などといったものだが――が的中したように思えたが、とりあえず静葉はその子供へ、やんわりと声をかけた。
今しがたの少年の挙動や、一言も発しないところを見ると、自分との関わり合いを拒んでいるようにも見えたが、だからと言って年端もいかない子供を無視していくわけにもいかなかった。
しかし、そんな反応ゆえに、正直なところ返答がある事を静葉は期待していなかったのだが――意外にも、少年からの返事はすぐにやって来た。

「……別に、何も。神様こそ、どうしてここにいるんですか?」
「……あれ? 私の事、知ってるの?」
「豊穣の神様と一緒にいるのを、偶々村で何度か」
「……そう」

俯き加減、かつ非常に端的で抑揚のない言葉だが、ぽつぽつと少年はそう答えた。
豊穣の神様とは言うまでもなく、穣子のことだろう。
そして『村で』見た事があると言うところから考えると、この少年は今、穣子が招待されている村の住人なのだろうか。
それならば、静葉が想像していた捨て子という線は考え辛くなるが――しかし、仮にこの少年が麓の村の住人だとすると、今ここにいるのはやはり妙だ。
その村は現在、秋の実りを喜ぶ宴が開かれているはずだ。
秋の収穫祭というのは、人間にとっては秋の神への感謝を示す儀式であると共に、春から夏にかけての労苦が収穫という形で報われ、気持ちにも懐にも余裕が生まれる瞬間でもある。
それを象徴するかのように、開かれる宴は大体が壮大かつ豪勢で、その開催地に居を構える人間ならばその殆どが喜びの渦中にあるのが当然なのに、この少年はこんな山の中で独りで座り込み、その輪から外れている。
それに加えて、その村には静葉自身も何度か訪れているにも関わらず、こんなにも目立つ子供を見かけたことはなかったという、もう一つの事実。
それらを綜合して考えれば、わざわざ深くを尋ねなくとも、この少年が置かれている状況を推し量ることはそう難しいことではなかった。

「――君は、ここにいていいの?」
「……さあ。でも、こうしてた方が都合はいいんでしょう。僕も、他の皆も」

若干、少年の内実に踏み込んだ静葉の言葉にも表情を変えず、すぐに無感情の言葉がその口から紡がれる。
――その声は、聞いている方が寒気を覚えるくらい、酷く透明なものだった。
透明と言っても、子供らしい純真さや純粋さ、或いは無知さ故のそれとは明らかに違う。
寧ろ、真逆だ。
まるでこの世の理不尽の全てを知り尽くした老人が、死期の直前に諦観と共に語るような綺麗な上澄みの言葉に、それは酷く似ていた。
まだ年端もいかぬように見える少年がそんな声を出す事に、静葉は驚きを隠せなかった。
仮に親に捨てられたことを理解した子供でも、こんな声は出せまい。
最も信頼すべき肉親に見捨てられた事に対する怒りや恨みが、その透明度を激情で濁らせるからだ。
だがそれは、子供がまだ世の中というものを知らないがために、理不尽に対して懸命に抗おうとする証左でもある。

――この少年は、そうではないのだろうか。

そう疑問に思うのは当然だった。
――しかし。

「……そう。でも、暗くなる前には山を下りなさい。村からはそう離れていない場所だけど、夜は危ないことに変わりはないから」

かと言って、それに易々と踏み込むべきではないだろう。
特にこの少年は、声色でも態度でも所作でも、明らかに自分の内面に踏み込まれる事を望んでいない。
無闇にその蓋を開けさせようとしても、却って強い抵抗を招くだけだろう事は、目に見えて明らかだった。
なら、ひとまず注意だけはしておくのが最も無難で賢明であろうと、静葉は柔らかく声をかけてから、少年の前から踵を返した。

「……」

その背中を、少年は特に返事をするでもなく頷くでもなく、じっと静かに目で追っていた。
――別に、特に何か意図があってそうしたのではない。
単純に、紅葉にはもう見飽きていたから、だったのかもしれなかった。

「せーの……っと!」
「……!」

そうしていると、すぐ近くで再び立ち止まった静葉が、慣れたような所作で大木に強烈な蹴りを入れ始めたのを目にして、少年は僅かにその目を見開いた。
最初、どうしていきなり木を蹴り始めたのか分かりかねたが、静葉が舞い落ちてくる紅色の秋化粧を満足そうに眺めているのを見て、あれは葉を落としているのだと理解し、また驚いた。
村で遠目から見ていた時も、そして今こうして間近に見ても尚、秋の女神の名に恥じない優雅で可憐な姿だったから、もっと違う方法で秋を彩っているのだと思っていた。
神様とは人智を超えた存在なのだと、多くの人間と同じくそう考えていたからだ。
だから、その見た目とは正反対の――よく言えば豪快な方法は、少年にとって新鮮な驚き以外の何者でもなかった。

「よい……しょっと」

そんな驚きを、当の静葉は知ることもなく。
まるで、舞うように。
しかしそれでいて豪快に、静葉は紅葉の雨を地面へと撒いていく。
――あの女神が通っていく道は、文字通り綺麗な秋色に染まっていく。
まるで紅い絨毯の上を歩いていくようなその姿は、方法はどうあれ、確かに紅葉を司る神に相応しい花道だった。

「……」

その様子をじっと少年は眺めていたが、すぐにその姿も木々の間に隠れ、幹を揺らす音も、それに伴ってすぐに聞こえなくなった。
――そうして戻ってきたのは、少年がここに独りでいた時のように、周りに満ちるのは風で揺れる葉の音だけの空間だった。

「……」

独り、ただ何もない木々の間へと、視線を彷徨わせる。
何かを探すわけでもなく、見えなくなったあの神の姿を探すわけでもなく、ただただ、呆っと。
――元々、何かをしようと思ってここに来たわけではなかった。
ただ、村の楽しそうな喧騒が聞こえない場所を探していたら、ここにいた。それだけだった。

建前上、自分はあの村に属する住人ではあるものの、折り合いがいいわけではない。
逆に言えば悪いわけでもなく、しかも今日は年に一度の盛大な秋祭りで、秋の神様も呼ばれる祭りだ。
行っても追い出されるような事はないだろうが、怪訝な顔をされることは想像に難くなかった。
理由は簡単だ。――この身が、半分とは言え人外だからだろう。
自身に害を為すつもりもなく、そんな力もないが、人間とは自分と違うものを兎角恐れる存在だ。
子供のうちはまだその感覚は薄いが、同じくらいの年頃、背格好だったはずの相手が、自分が成人しても尚昔と変わらない姿であれば、誰だって薄気味悪さを覚えるのは当然であろう。

――人間がそういう目で自分を見るのを、もう何年繰り返してきたことだろうか。

もう、それにも慣れた。いい意味でも、悪い意味でも。
向こうが腫れ物を扱うような目で見るならば、こちらとて無理に刺激する必要はない。
寧ろ下手に刺激すれば、人間は全力で異物を排斥しにかかってくる。
自分はそれに抗う力もなく、かと言って何らかの社会に属さずに生きていく力もない。
故の、この現状だった。
『集団の中にあって独り』という、一瞬矛盾しているかのような状態が、この姿に不相応な程に長い年月から得た経験からの答えだった。
だから、自分は独り、ここにいる。
それが、最も気楽な解決方法だと学んだからだ。
――そう、訥々と考えていた時だった。

「……?」

ばさばさ、と音を立てて、唐突に頭の上から色とりどりの紅葉が降りかかってきた。
自然的ではなく、明らかに人為的なそれに、少年は特に急ぐでもなく、ゆっくりと気だるそうに振り返ると。

「どう? 綺麗でしょう?」
「……」

大分前にその姿を木々の間に見失っていた秋の女神が、その手のひらにいくつかの紅葉を残したまま、満面の笑みを浮かべて、少年のすぐ背後に立っていた。

「……何を」
「今年はちょっと寒くなるのが遅かったから、少し心配していたんだけど……今年もちゃんと色付いてくれたの。あぁ、それとさっきは驚かせてごめんなさい。まさか今日、ここに誰かがいるとは思わなかったから」

一瞬、抗議の言葉を言いかけた少年だったが、その言葉が終わる前に、静葉は文字通り朗らかで柔らかい笑顔のまま、そう謝罪してきた。
――その表情に、少年は次の言葉を続けられなかった。
つい、と自分の周りの地面に目を落とせば、今しがたこの神様が降らせた紅葉が目に入る。
――楓。椚。山椒。銀杏。楠。
彼女の言うとおり、自分の頭から降り注がれた紅葉は、種類も色も様々なものが入り混じっていて、乾いた心ながらも確かに綺麗だと思った。
多分――あくまで想像でしかないが、この神様は紅葉を降らせながら、わざわざその中から綺麗なものを選んできたのだろう。
そんな面倒な事を、悪意を以ってするのはどう考えても有り得なかった。
となれば、これは悪意や悪戯などではなく、はっきりとした善意からのものなのだろう、と。
そう、一度理解してしまえば、少年にはもうそれを責める事は出来なかった。

「………いえ、別に。ちょっと、驚いただけですから」
「そう? なら良かった」

抗議の言葉を飲み込み、代わりに静葉の謝罪に対する言葉を返すと、静葉は安心したように、その笑みを少しだけ深くした。
そうして、今度は立ち去るでもなく、静葉は少年と同じように、そのすぐ隣に腰を下ろした。
――その所作を見る限り、どうやらこの神様は、ただ律儀に謝りに来ただけではないらしいが――それが寧ろ、少年には分からなかった。

「……どうして、僕に構うんですか」

そしてその疑問を我慢できず、少年はすぐ隣の静葉へと問いかけた。
独りが最善であると、そう少年は考えていた。
そして恐らく、彼女もそれを理解して、一度は立ち去ったはずだった。
しかし、それでも尚、こうしてまた戻ってきて、自分の隣にいる。
その意図が、少年には全く理解出来なかったのだ。

「神様がいるべきなのは、こっちじゃなくて麓の方ですよ。これまでもそうだったはずです」
「えぇ、そうね。本来は、そうすべきなんでしょうけど」

少年の言葉に、一旦静葉は頷いた。
しかしその後に続く言葉は、響きも意味も、完全な逆接だった。

「あっちは今、穣子――私の妹の神様が行っているから、いいのよ。元々、秋の恵みに直結する穣子の方が、人間達には受けがいいから。私はこっちで、一人きりの子に構う事にしたの」
「……随分、物好きな神様ですね。僕に構ったって、最高に上手くいっても一人分の信仰しか得られません。損得が釣り合っていないと思うんですが」
「まぁ、そうね。それは否定しないわ。……迷惑だと言うのなら、さすがに止めるけど……」
「……そうは、言いませんが……」

どこか困ったように表情を変えた静葉に、少年は言葉に詰まったように口元をもごもごと動かした。
――その少年の様子に、漸く静葉は子供らしさを見た。
己が属している村の秋祭りに参加しないという点において、何らかの深い事情がある事は間違いないのだろうが、この反応を見る限り、それによって変に精神が捻じ曲がってしまっていたり、感情が摩耗してしまってはいないようだった。
他人の善意は善意として、ちゃんと受容出来ている。
ただその善意に対し、『損得』を持ち出そうとしているところを見ると、やはり。

「……僕には、村の皆も余り近寄ろうとはしないので、神様の考えがよく分からないんです。信仰が欲しいなら、僕よりも豊穣の神様と一緒に、村に行けばいい。けれど、あなたはそうしない。村の皆の親切と一緒で、何か裏がある――そう、考えてしまうんです。神様に向かって無礼だとは、自分でも思いますが……」
「……近寄ろうとしない?」

続いて少年の口から漏れた言葉は、ある意味では静葉の予想通りだった。
他人の悪意に晒され続けた結果、多くの人間が陥る心理状態――つまりは、疑心暗鬼という暗闇の中に、この少年はいる。
それ故に、『善意には必ず裏がある』と。『損得は常に等しいものである』と。
そう、この少年は学習してしまっている。
その状態を見る限りでは、まだ年端もいかないように見えるこの少年の境遇は、推して知るべきであった。
――しかし一方で、その境遇の原因であろう一端も、この少年は漏らした。
静葉はてっきり、この子の両親に何か非があったが故の村八分かと思っていたのだが、その言葉を聞く限り、そこまで厳しい仕置きでもないらしい。
裏があると疑いつつも、時折周りからの善意を受けるくらいには、村の住人とは辛うじて関わりを持っているようだ。
では何故――と。
そこまで考えたところで、静葉はふと少年に対し、ある違和感に気が付いた。

「……あぁ、成程。そういう事、ね」

喩えるならそれは、多くの人間がいる中に巧妙に紛れ込んだ、野生の獣のような気配、とでも言えばよかったのだろうか。
初めて見た時は気付かなかったが、こうしてすぐ隣に座ってみると、普通の人間には決して感じない歪な気配と微かな匂いが、僅かながら少年から発せられているのが分かった。
それは紛れもなく、妖怪から感じるそれだった。
すぐ隣の少年から漂う、人間と妖怪が混じったような歪な違和感。
それこそが全ての原因であると、雄弁に物語っていた。

「……君、半人半妖なのね」
「――えぇ、まぁ」

その静葉の問いかけに、少年は再び、あの寒気がするような透明な声で、頷いた。
――そこで漸く、静葉はこの少年が、時折とても少年らしからぬ言葉を紡ぐことに合点がいった。
見た目はまだ子供のそれだが、恐らく既に子供らしからぬ時間を、独りで歩いてきたのだろう。
もし、そうであるならば――その辛抱強さは、本当に大したものだと思う。
いや寧ろ、『よくぞ今まで生きてこれた』と、正直に思う。
ちゃんとした人間の子ですら、望まれなければ殺され、その存在が最初からなかった事にされるような世の中だ。
神との相の子ならばまだ話は分かるが、妖怪との相の子となれば、まず生まれた瞬間に縊られて当然であろう。
この半妖の子は、まずその『当然』を、類稀な幸運と偏見のない母親の庇護の下に通り抜けたのだ。
その後も、学習によって得た他人との折衝術を文字通り懸命に駆使して、今ここにこうして存在しているのだろう。
――しかし、当然ながらその途上で、多くの失敗があったはずだ。
もしかしたら、生命の危機も幾度となくあった事だろう。
それは、今のこの子の性格と思考の方向性を見る限り、想像に難くない。
だが、それでもこうして生き残る事に成功してきたその幸運と努力、そして忍耐力には、静葉も素直に感心、賞賛する他なかった。
そして――いや、だからこそ、同時に。
そうやって懸命に世界からの理不尽に耐える若い命の芽に、確かな愛らしさもまた、感じたのだ。

「……神様って、結構気紛れな存在なのは、知ってるかしら?」
「………………そう、なんですか?」

ふと、唐突に話題を転換させた静葉に、少年はやや長い沈黙の後に、疑問で応えた。
だが、それも当然であろう。
今しがた交わしていた話とは少しも掠らない話を唐突にされれば、誰だって訝しく思うのは当然である。
しかし、その発起人である静葉は『意を得たり』とばかりに、すらすらと話を続けた。

「そうね……例えば、穣子なんかは毎年決まって豊作祈願をされたりするんだけど、それに応える年と応えない年があったりとか。後は、雨乞いされても無視したりする神様もいたりとか。中には出来なくて仕方ない時もあるんだけど、そういうのってよくある事じゃないかしら?」
「……神様がそう言うなら、そうなのかもしれませんが……それが、今だと?」

――成程、と、静葉は静かに心中で頷いた。
やはりこの少年は、今まで相当の艱難辛苦を経験してきているに相応しい鋭さを兼ねている。
それが、今の彼の返答にしっかりと表れていた。
この少年は、静葉の『気紛れ』という単語が、この状況にも当てはまるのかどうかを危惧していた。
つまりは、『独りでいた自分に声をかけてきたのが気紛れならば、去るのもまた気紛れなのか』と、そう問いたいのだろう。
その疑問は正しい。
正しいと同時に――何とも子供らしさがある、可愛らしいものでもないだろうか。
当の本人は意識しているのかどうか分からないが、そういう疑問が浮かぶという事はつまり、声をかけてきた静葉に対して、『気紛れで自分を振り回すくらいなら最初から声をかけるな』という文句と共に、『声をかけたなら気紛れで消えるような真似は止めてくれ』という、僅かな執着が見え隠れすることを自白しているに等しい。
半妖という生まれの特殊さが故に、多少擦れた性格になってしまったのは仕方ないが、何だかんだで人間の社会組織に属し続けている以上、建前とは別に心の奥底では少なからず他者との交流を求めているのだろう。
それを姿相応の可愛らしさと評するのに、何の間違いがあろうか。
――尤も、それを指摘するなど野暮もいいところであるので、静葉はそれをそっと自身の奥底へと仕舞い込み。
代わりに、出来る限りの慈愛を満たした笑みを浮かべて、少年を見やった。

「最初は、ね。……でも、こうやって君と、短いけれど話をしてみたら、それで正解だったって確信したわ」
「……?」
「確か明日も、村では秋祭りだったでしょう? その時ももし独りでいるつもりだったなら、ここにいらっしゃい。私と一緒に紅葉狩をしましょう? その次も、その次の日も。君が独りで座り込んでいるうちは、私が一緒にいてあげる。――これは、単なる気紛れで言ってるわけじゃないわ。神様は誰の願いでも聞くような存在じゃないけど、一生懸命に頑張る人には、ちゃんと報いてあげるのが仕事みたいなものだから」
「―――」

そう、柔らかく諭すように言う静葉を、少年はただただ、何か不思議なものを見るように呆然と見上げていた。
その眼差しに、静葉がよく人間達から受けるような畏敬の念は、全く無い。
寧ろ、まだ微かに怪訝そうな色が残っているところが、逆にこの少年らしいと言えばらしかった。
――自分の言葉を、何の疑いもなくすぐに信じろ、という方が土台無理な話であることは、静葉自身も理解している。
それまで培ってきた価値観や考え方を簡単に捨て、すぐに他人を信じれるようになれるなどというのは、紙上の物語と言う虚構の中だけの話だ。

しかし、そうだと分かった上で静葉は少年に対し、選択肢を提示した。
それに対し、如何なる疑問や猜疑心が浮かぶのかはこの少年しか知り得ないし、静葉の言葉を素直に信じられるかどうかも、この少年次第である。
だが、それで結構だ。
その上で、静葉から渡された選択肢を信じられずに放り投げるのであれば、その意志の強さを賞賛しよう。
その上で、静葉の言葉を信じてくれるのならば、それに報いよう。
そのどちらを取るのかは、全てこの子供に託した。
静葉が出来ることと言えば、後はその答えを待つ他なかった。

「………………やっぱり、あなたは変わった神様ですね」

そうして、暫しの沈黙の後。
少年が呟いた言葉は、どこか呆れた響きを含んだ、おおよそ神に対するものとは思い難いものだった。
だが、言葉の響きこそ呆れたものではあれど――その俯き加減の横顔には、寧ろどこか安堵に満ちたもののように、静葉の目には映った。

「大木を蹴り飛ばしてたり、村の皆ではなくて、半妖であると分かった上で僕を構ってみたり。挙句の果てには、どう考えても得にならないような提案をしてみたり。……正直、神様の考えは、僕にはよく分かりません」
「……うん」
「……でも……」

――ありがとう。

そう、今にも消えそうな声で呟かれた言葉は。
確かな秋の彩りに包まれて、一人と一柱だけの秋野原に散り積もった。






 ◇ ◇ ◇



『秋の日は釣瓶落とし』。
『秋の夜と男の心は七度変わる』。
『女心と秋の空』。
『暑さも寒さも彼岸まで』。

秋に関する格言や諺は数多あるが、その中でも気候に関するものや気候の語を含むものは特に多い。
その語の多くは、秋の気候が変化に富む事を示唆しているものが殆どである事を考えると、秋の訪れがどのようなものであるかは自ずと知れよう。
あれだけ厳しかった残暑が和らいだ事に安堵し、朝と晩はその涼しさに爽やかさを感じ、目に見えて日が短くなった事に気付いて、軽い驚きを覚える。
その変化は、日に日に増していくのが目に見えて分かるほどに顕著である。

釣瓶のように、或いは男女の心のように。
あっと言う間に秋の空気は夏のそれを駆逐し、季節の盟主交代を告げ、新しい盟主の迎えを演出する。
そして、それらを目の当たりにした頃に、本格的な秋の足音が聞こえ始めてくるのだ。

――そうして、秋の足音が確かに耳朶を揺らし始めるようになった頃に。
魔法の森の入り口に居を構える人妖は、年に一度の秋の盟主を出迎える準備を、今年も始める。



 ◇ ◇ ◇



「……ふぅ。やれやれ、無縁塚に行くより荷は軽いとは言え……やはり山登りは勝手が違うな」

溜息と共に、そう一人ごちる声が山中に響く。
場所は妖怪の山、その中腹。
時刻は昼を少し過ぎたくらいだろうか。
今年も例年通り、綺麗な秋化粧に染まりつつある木々の間を、霖之助は一人登っていた。
霖之助がこの山にいる場合、大体は旧知の河童や天狗に用があって登るのだが、今回は違う。
背負う荷物は、河童を訪ねる時のような工具や外の世界の機械ではなく、いくつかの酒と肴である。
それだけを見れば、やはり天狗と宴会でもするかのように見えるが、そうではない。
と言うか、天狗の総本山である山に自ら酒と肴を持って宴会に参加するなど、鴨がネギと味噌と鍋を背負って行くようなものだ。
いくら何でもサービス精神が旺盛すぎる。
ただでさえ、自分は山の天狗たちに、少々風変わりな文や椛と長年に亘って親しい物好きだと思われているので、天狗の宴会に顔を出せばそれこそ『待ってました』と言わんばかりに目を付けられ、倒れるまで呑まされるのが目に見えている。
そんな所にわざわざ自分から首を突っ込むほど、自分は莫迦ではない。

――これは、年に一度だけ。
余り遠出をしたがらないはずの自分が、わざわざその腰を上げ、軽くはない荷物を背負って山を登る価値があると、そう認識している相手を出迎えるために用意し、供するものである。
とは言え、用意した酒と肴は、普段店で一人呑む時のそれよりかは幾分、上等で手の込んだものであるのは間違いないが、豪勢かと言われれば用意した霖之助自身が否定する。
酒は、出来れば今年の新米で醸したものが最高なのだが、稲の刈り入れ直後の今ではどう足掻いても入手不可能のため、次点として用意した、去年の一番の新米で醸された単なる清酒であり。
肴は、今年の夏から秋にかけて採れた香霖堂裏の菜園の新鮮な収穫物を、霖之助自身が浅漬けや糠漬けにしたり、簡単に調理した程度のものがいくつかあるだけだ。
とてもではないが、これを豪勢と呼ぶには余りにも問題がありすぎるのは、衆目の一致するところであろう。
反対の意味で、里の収穫祭などの比ではない。

だが、これでいいのだ。
寧ろ、これでなくてはいけない。
いくら資金をかけて豪勢なものを用意しても、それが霖之助自身の手のかかったものでなくては、何の意味もない。
第三者がこれを見て貧相だと嗤ったとしても、勝手に嗤わせてやればいい。
これは、今は『霖之助』と名乗る半妖自身が、自らの誠意を込めて贈るものなのだから。

「……ふむ……」

それらを大事そうに背負いながら、霖之助は足を止め、きょろきょろと辺りを見渡す。
単純に紅葉を愉しむためならば、紅葉が多く見える場所を探せば良い。
そこに青く澄み渡った空とのコントラストがあれば、もう文句はない。
――しかし、今回の目的はそれではない。
探すのは、その紅葉を数多く身に纏い、まだその化粧を落とさぬと頑張っている木である。
その木の下にあってなお、景色も良ければ最高ではあるが、あくまで大事なのは木の方であるため、それに拘るつもりはない。

「……もう少し、奥に行ってみるか」

呟いて、霖之助は止めていた足を、山の奥へと再び動かし始めた。
――何故、そんな場所を探しているのかと問われれば、その答えは酷く簡単だ。
『何かを捕まえようとするなら、その相手の行動を予測し、通りそうなところで待ち構えているのが、最も効果的である』と。
そう、自分は教えられたからだ。
他でもない、その捕まえようとしている相手に、である。
尤もその『相手』は、獣を罠で仕留める効率的な方法として教授したつもりでいるはずなので、それを毎年自らに適用しているだなどとは、露ほども考えてはいないだろうが。

「……よし。今年はこの辺りにするか」

そんな事をつらつらと考えながら、目的のものを探して歩く事暫し。
十分に秋色に彩られた葉を豊富に身に付けた大木を見つけて、霖之助はその木の下に背負っていた荷を降ろした。
そうして、改めてぐるりと周りを見渡す。
――こうして見ると、霖之助が腰を据えようとしている木以外にも、十分に紅葉を付けた木々が多く目に入ってくる。
景色景観はあくまで付属と考えてはいたものの、中々に悪くない場所だ。
そして、これだけまだ紅葉が身を飾っている木があるのなら、あの女神はまだここには来ていない可能性も高い。
そういう意味では、二重に悪くない場所だった。

「……」

それらを一通り確認してから、霖之助は一人、その木の根元に座り込み、持ってきた酒瓶の蓋を開けて、その中身を杯へ移す。
その後に、今度は持ってきた酒の肴たちを、適当に目の前のまだ緑色の芝生の上に並べていく。
こちらも紅葉に負けず、野菜本来の色を活かした浅漬けや、十分に漬かっている糠漬けの他、偶に欲しくなる甘味用としてさつま芋の天麩羅や栗の甘露煮などが、透明色の容器に入ったまま並べられていく。
この透明色の容器――タッパーという名称の道具は、ここ最近になって無縁塚で頻繁に拾うようになった道具だ。
密封性が非常に高く、浅漬けや糠漬けなど、漬け汁や床と一緒に持ち運んだ方がいいものや匂いが強いものを運ぶ際にとてつもない利便性を示す、最近の香霖堂一押しの商品である。
これを拾う前は、この程度の肴を持ってくるだけでも相当苦労していたことも、今となってはいい思い出だ。
外の世界の技術は、こんな何気ない日常用品をも進歩させているのだと、こういう道具を目にする度に実感するものだ。
――閑話休題。

「……ふむ」

そうして、小さな宴の形が整えられれば、後はこの『罠』に相手がかかるのを待つだけである。
――とは言え、霖之助自身はお預けを喰らったまま、ただ座っているつもりは毛頭ない。
これらの用意した肴と共に、目の前に広がる秋の紅葉を楽しみながら、一人呑み始める。
元々、互いに示し合わせてこの場所を探していたわけでもない。
言わば、霖之助は相手が来る確証などない状態で、毎年山に登り、一人宴の形を整えて、呑み始めるのである。
それは、いつも通り店で一人で呑むのと場所以外大差ないと言えば、その通りではあった。

「……」

静かに、一人。
大樹の根本に座って、呑む。
自分以外が立てる音は、周りからの自然の音しかない。
その静寂すらも愉しみの一つにしつつ、霖之助はゆっくりと手酌を愉しむ。
――そこに、もしも待ち人が来なかったらという気負いが一切ないのは、霖之助自身も実のところ、よく分かっていない。

「……不思議なものだな」

率直に、霖之助はそれを呟いてみる。
それに答える明確な言葉はなく、返って来るのは時折風で揺れる、立派な紅葉の囁きだけだった。
――こうして腰を据える場所は、いつも違う。
一応、『相手』が通りそうな場所を選んではいるものの、それとて確実とは到底言い切れない。
寧ろ、そこと決めて動かないのだから、数日待つのならともかく、半日もない時間ならば鉢合わせない確率の方が高いだろう。
如何に閉鎖された幻想郷とは言え、妖怪の山は広いのだから、それは決して間違っていないと思う。
だが、そうと分かっていても一切の不安を覚えないのは、恐らく――。

「――……」

ふと、今まで風が葉を撫でる音と鳥の囀りしか聞こえてこなかった演奏会の舞台に、明らかな異音が混じり込んできた事に、霖之助は気付いた。
それは、随分と鈍く低い、何かをぶつけ合わせるような音のように聞こえた。
次いで、自然の微風が葉を揺らす音よりも格段に強い、まるで突風が揺らすかのような音が、その打撃音の直後に続いて広い山中、木々の隙間をすり抜けてくる。
最初のうちはその他の音が聞こえる事はなかったが、次第に音源が近づいてくるように音が大きくなってくるにつれ、少女が呟くような声も、微かに風に乗って届いてきた。
よくよく耳を澄ませてみると、掛け声のように聞こえなくもない。
――その音と声を耳にして、霖之助は薄い笑みを浮かべた。
どうやら今回も、己の予測は見事に的中したようだった。

先程の疑問に対し、無理に何か答えを付けるのだとしたら、恐らくはこれなのだろう。
――霧雨道具店、ひいては人里を離れてから現在まで、自分は秋という季節を、決して少なくはない数だけ通り過ぎてきた。
そしてその数だけ、こうして確証のない待ちぼうけも繰り返してきた。
しかし、その繰り返しの中において、ただの一度も。
こうしてその顔に会えなかった年が、なかったのだから。

「……あら? 今年はこんな所にいたの?」

そうして、いよいよ音源が霖之助のいる大樹に近づいてきた頃に、『彼女』はひょっこりと幹の向こうから顔を出した。
それと共にやって来たのは、遥か昔に一人の半妖の子供を驚かせたような、背後の大樹からの悲鳴と衝撃ではなく。
霖之助も聞き慣れた、どこか人懐こい響きを含む、柔らかい声だった。

「あぁ、今年はこの辺りじゃないかと思ってね。空振りにならなくて良かったよ。……久しぶりだね、静葉」
「えぇ、お久しぶりね。霖之助」

――そして、遥か昔とは異なる呼称で、互いに呼び合い。
一柱の神と一人の半妖は、昨秋ぶりの邂逅にその頬を緩ませた。



 ◇ ◇ ◇



静葉を見つけたからと言っても、霖之助が静葉に対して言うべき事は特にない。
霖之助が席を勧めなくとも、静葉は既に仕事を中断し、霖之助の隣へと座っている。
まぁ、何度も繰り返してきたような宴だ。今更言葉にしなければならない事など、それほどない。
なので、霖之助が目下すべき事は、今まで一人分の宴席しかなかった場所に、もう一人分の席を追加することだけである。

「ほら、静葉。今年最初の、僕から君に捧げる杯だ。去年の新米酒というのが玉に瑕かもしれないが、受けてくれ」
「あら、どうも。……ん、いい香りね。じゃあ、私からもご返杯」
「ああ、すまないね。ありがとう」

用意しておいた杯を静葉へと手渡し、酒を並々と注ぐ。
その後、静葉からの返杯を受け、漸く本来の宴席の場が整った。

「……それじゃあ、改めて乾杯」
「ええ、乾杯」

静かに互いの杯を掲げ、杯を呷る。
そうして互いに杯を空にしてから、まるで示し合わせたかのように、霖之助と静葉は深く息を吐いた。

「――はぁ。今年もご馳走様。何だか悪いわね、毎年こうしてくれて」
「いや、礼を言われる程ではないよ。僕が珍しく損得勘定抜きでやっている事だからね」

空になった静葉の杯に二杯目を注ぎながら、霖之助は答える。
自分で言っているように、こうも何の裏表もなく他人に何かを振舞う事は、実際そう多くない。
商人をしているのだから、それは当然でもある。
――だが、相手が静葉か穣子である場合に限って言えば、この程度の事を数十年続けたくらいでは、文字通り礼を言われるものではない。
自分はそれ以上のものを、秋の女神達から授かった。
それを考えれば、この程度の捧げ物で感謝を述べられては寧ろ困るのだが――まぁいい。

「……そう言えば、『毎年』でふと思ったんだが」
「? 何かしら」
「昔と違って、木を蹴ってから僕に気付くようなことがなくなったような気がするんだが、何か意味でもあるのかい?」

ふと、霖之助は何気なくそう尋ねた。
霖之助がこうして特に示し合わせもしない宴席を開くようになって久しいが、そうして待っている間、彼女は昔のように木陰の存在に気付かないまま、幹を蹴り飛ばすような事は一度たりともしなくなっていた。
別に頭から葉を被ったり、背中から思わぬ衝撃をわざわざ味わいたいわけではないので、それが無い事を気に留めてすらいなかったのだが、ふと意識に上ってきたのだ。
そしてそれに意味はあるのかと、そう何気なく問うてみたのだが。

「……うーん、別に意味と言う意味はないんだけど……ちょうどこうして紅葉の時期になると、また誰かが木陰に座り込んでるような気がしてね。驚かすのは可哀想だなって思うようになってから、ついつい先に誰かいないか確かめるようになっちゃったのよ。まぁ、誰かさんの所為と言えばその通りなんだけど」
「……酷い押し付けじゃないか。別に、ああやって驚かせたのは僕だけじゃなかったんだろう?」
「ええ、それはそうなんだけど……」

小さく言いよどんで、静葉は一旦二杯目の杯を傾けた。
口の中を潤すように少しだけ酒を含み、嚥下してから、続けた。

「……でも、やっぱり忘れられないのよ。貴方が、私を見上げた時のあの顔を、ね」
「……そんなに酷い顔をしていたかい?」

自分と静葉との出会いは、今でも覚えている。
静葉がそう言っているように、霖之助自身にとってもあれは忘れられそうにない出来事の一つだ。
だが、その時に自分がどんな顔をしていたのかは、当然ながら分からない。
霖之助自身は、特にこれといった表情をしていなかったように記憶しているのだが、静葉の目にはそう映らなかったのだろうか。

「何て言うのかしら……確かに表情は無かったんだけど……目、かしら」
「目?」
「ええ。何だか虚ろで、その割にちょっとぎらっとしてて、見た瞬間は凄く危なっかしい目をしてると思ったんだけど……同時に、助けを求めているような感じがしたの。今思うと、だけど」
「……助け、ね。まぁ、もしかしたら強ち間違いでもなかったのかもしれないが」

――自分が子供だった頃の記憶は、正直余り思い出したくない。
生まれが生まれ故に、色々と苦労したものしかないからだ。
その中で静葉に出会った時は、それまでの歩みから比べれば落ち着いていた頃ではあったものの、それでも子供ながらに色々と不安定だった時分のように記憶している。

あの時は、独りになるのが最善だと思っていた。

そうしているのが最も気楽で、かつ最も平穏だったからだ。
他の誰かに気を遣うでもなく、他の誰かに腫れ物を見るような眼差しを向けられるでもない時間は、精神的な負担という意味で間違いなく楽だった。
誰かと関わっていないのだから、誰かから理不尽に扱われもしない時間は、肉体的な負担という意味でも間違いなく楽だった。
だから自分は、その時間を確保するために、好きで独りでいたつもりだった。
――だが、もしかしたら自分は、独りでいることによる安堵感を求めつつ、独りでは生きていけないという矛盾に、心のどこかで頭を悩ませていたのかもしれなかった。
それが静葉には、助けを求めているように見えたのだろう、と。
尤も、それすらも今考えた上での理屈付けに過ぎないので、真相は既に闇の中ではあるが、少なくとも静葉があの時の霖之助をそう評したのは、覆しようのない事実だった。

「……ふむ。だからかい? あの時の僕に、『気紛れ』でちょっかいを出してきたのは」
「……うーん、どうかしら。『気紛れ』で貴方に構おうと思ったのは事実だけど、それが決め手かって言われると微妙かもしれないわ。全部『今考えると』、だけど」
「確かに。今となっては全部が後付になってしまうからね。その意見は尤もだ」

――そう。今、あの過去に何か理屈をつけようとしても、全てが後付である。
記憶とは絶えず、自分の中で都合の良い方向に変わってしまうため、本当の事はあの時の自分にしか分からない。
だが、あの時のきっかけがどのようなものであったとしても。
静葉が手に紅葉を抱えて戻ってきてくれた事を、霖之助は生涯、忘れる事はないだろうと思う。
あれが、ある意味では今の自分を作った全ての最初であると。
そう、今は何の疑いもなく思えるからだ。

「……きっかけはどうあれ、あの時君が僕に構ってくれたのは、今となっては感謝している。けれど、あの時君は自分で『気紛れだ』と言っていた事もあって、まさか本当に僕にずっと構ってくれるとは思っていなかったんだ。その後、君は改めてそれを否定していたが、何分あの頃は疑い深くてね。いくら神様でも、どうせ飽きればすぐ来なくなると思っていたんだが……」
「……それは初耳ね。あの時は子供らしく『ありがとう』だなんて言ってくれたと思っていたのに、腹の底ではそんな事を考えてたのね。私はちゃんと約束を守ったのに」
「ああ、そうだね。だからその事は、まぁ世の中も知らない子供の戯言として水に流してくれると助かるんだが」

じっとり、と不満そうにこちらを見てくる静葉の視線に肩を竦めながら、霖之助も二杯目の杯をゆっくりと傾ける。

――彼女の言うとおり、静葉は次の日もその次の日も、約束を違えることなく自分と共にあった。
村での祭りが終わった日には、彼女を通して穣子とも対面した。
穣子も初め、自分をあの村では見た事がなかった事や、村の祭りに参加していない事に疑問を感じていたようだが、静葉から説明を受けると一転、何が気に入ったのか、静葉と同じかそれ以上に自分を構ってくれた。
そうしてそれからは、多くの時間を彼女達と過ごすようになった。

秋は、比較的忙しい彼女達の後をついて野山を駆け回り、様々な秋の恵みを彼女達から授かった。
その後に訪れた冬には、打って変わって暗くなってしまった彼女たちを自分のあばら家に連れて、溜息混じりで世話をしたりもした。
漸く暖かくなった春には、秋とはまた異なる季節の美を眺めたり、秋の収穫に向けての準備をしたりと、この季節はどちらかと言えば自分の方が忙しい事が多かった。
夏は、春に準備をした農作物の世話を、恵みの神である彼女たちに色々と教わりながら懸命にこなしたりした。

そういう独りではない日々が、毎日とは言えないものの、人間とは違う時間を歩んでいるはずの霖之助自身が、彼女たちの背丈を追い抜いてしまうまで続いた。
当然、数年などという短い期間ではない。それの倍でも三倍でも足りぬほどの時間だ。
それほどの長い期間を、静葉と穣子は共にいてくれた。
いや、共にいただけではない。
本来なら親や周りの大人たちが教えてくれるような事も、彼女たちは教えてくれた。

例えば、より円滑な対人との折衝を行うにはどうすればいいか。
例えば、どうすれば菜園の収穫率を効率よく高められるか。
例えば、食用に出来る山菜や茸の見分け方、種類など。
――そして何より、他人からの裏表のない感情を、彼女達から受ける事が出来た。

静葉、穣子と出会うまで、殆ど受ける事がなかったそれを知って、自分は確実に進歩した。
それ故に、自分が彼女たちから得たもの、学んだものは計り知れない。
その重さは、自分が何よりも誰よりも承知している。
過去にどのような皮肉を言っていたところで、それが変わることはこれより先永劫、ないのだ。

「……まぁ、確かに事実だったとは言え、あの時の貴方には不適切だとは思っていたから、仕方ないかしらね。あの頃の貴方、大分擦れた性格だったもの。……それすらも、仕方なかったんでしょうけど」
「君は話が早くて助かる。ただ勘違いしないで欲しいのは、だからと言って感謝していないなどと言う事はない、ということだけさ。君と穣子には、恐らく一生頭が上がりそうにもない」
「あら。そこまで畏まる必要はないけれど、でもその心がけは大切ね。実践出来ているみたいで感心感心」
「そりゃあそうさ。他でもない君から教えられたものだからね」

『恩を受けたら、恩で報いる』。
それは仏教の教えにも存在するような、人間として当然の行いである。
『大事なのは、その裏に何の考えがあろうと、それを意に介せずに相手に返すこと』だと。
そう、静葉から教えられた。
それを忘れないのは、犬畜生でもないのだから当然であろう。

「商売のやり方は里で学んだが、僕の半身である『人』としての在り方は、多くを君と穣子に学んだ。それを当の本人相手に実践するのは、寧ろ当然だろう?」
「ええ、そうね。……けど、普段の貴方を見ていると、私よりも穣子の影響の方が大きいような気がするのよね。実際、どちらかと言えば、貴方は私よりも穣子と馬が合っているみたいだったし。お姉さんは割と複雑な心境だったのよ」
「……いや、複雑だと言われてもね……」
「何だかんだ言っても、あの頃の貴方はちょっと長く生きた子供だったから、穣子と二人で悪戯したり騒いだりして……。初対面の印象から凄く大人しい子だって思っていたから、随分と吃驚させてもらったわ。まぁ、それも今では懐かしい思い出だけど」
「……少し弁解させてもらうと、穣子は制止するよりも便乗した方が面倒がないと気が付いたせいもあるんだ。尤も、結局そういった諸々の負債を君に背負わせる事になっていたのは、素直に申し訳なかったと言う他ないが……」
「あ、えぇと、別に謝る必要はないのよ? 単純に貴方が『大人しい子供』だっていう先入観があったから驚いただけだったから。寧ろ、ちゃんと子供らしく振舞えるのを知って安心したのよ。この子は、芯の部分は正常だっていう確信を得られたのと――私達には、気を許してくれてる事がはっきりと分かったから」
「……そうかい」

確かにそれは、静葉の指摘どおりだったのだが――こう、本人を前にしてそれを指摘されると、どうにも気恥ずかしい。
だが実際、彼女たちと三人でいる間が、あの時点での歩んできた生涯で最も充実していたのは確かだ。
静葉と穣子が神様であるという、種族に対する根拠のない信頼感も多少はあったのだろうが、あの頃の自分にしては珍しく、彼女達を信頼出来ていたように思う。

――だが――。

「……確かに、それは否定しないよ。実際、あの時間はそれまでの僕の歩いてきた道のりの中でも、一番満ち足りていた。自分が半妖だと言うのを忘れるくらいに、ね」
「……そう」

彼女たちと共に過ごし、満ち足りた時間を一緒に歩んでいても、やはり自分は半人半妖だった。
彼女達から知識を学び、自分も拾った書物から自主的に学を得るようになってからは、次第にその念が強くなっていったように思う。
もし同じ神であったなら、そのまま同業者として共にいても、何ら問題はなかっただろう。
もし人間だったなら、神に比すれば瞬き程しかない時間を、自分のために使ってもらうことを望んでもよかったのだろう。
だが、まだ歩けない赤子が孫を持てるようになれる程の時間を共に過ごしても尚、いくらか背丈が伸びる程度の速さでしか時間を歩めない自分は、そのどちらも選べなかった。
尤も、その狭窄は誰かに強制されたものではない。
望めば、もしかしたら彼女達はずっと共にいてくれたのかもしれなかった。
しかし本来、秋は遍く全てのものに公平に齎されるものである。
無論、当時の静葉と穣子がそれを怠っていたとは決して言わないし、思ってすらいないが、神という存在を長い時間、一個人の存在に縛って共にあるというのは、やはり本来の姿ではないだろうと思ったのだ。

そこにちょうど、自分の『道具の名称と用途を知る』能力を活かす道を模索し始めていたのが重なった。
それまでも、相変わらずあの村の住人とは付かず離れずの距離で交友を保ってはいたものの、それまでの現状では、到底その道を模索する事など出来なかった。
もっと違う環境で、違う道を見つけなければならなかった。
そうなると、当然現在の身を置いている環境との決別は不可避であった。
だから自分は、それまでにないくらい考え、柄にもなく悩んだりもして――。

「……確かに、三人でいたあの頃は、毎日が早かったわね。貴方が、物凄く申し訳なさそうに『ここを離れようと思う』って言ってくるまで、あっと言う間だったもの」
「――」

まるで心を見透かしていたかのように、自分の思考と同調していた静葉の言葉に、霖之助は驚きつつ静葉を見遣った。
――その当人である静葉は、今まで霖之助が見た中でも一番と言っていい程穏やかな眼差しを、同じようにこちらへと向けていた。

「穣子は物凄く名残惜しそうにしてたし、私も本音を言えば、ずっと手元に置いておきたかったけど……でも、長年見てきたわけだから、分かっちゃったのよね。『ああ、この子は本気なんだ』って。まぁ、さっきの言葉を聞く限り、他にも色々と考えたり、悩んだりしてたみたいだけど、貴方が一人でも自分の足で歩いていくって決めたなら、もう私は止めようがなかったもの。……そこまでが、貴方との約束だったから」
「…………あぁ、そうか。あの時、意外にあっさりと僕を見送ってくれたから、どういうわけかとずっと疑問に思っていたんだが……そうだったね。そういう約束だった」

――静葉が、大樹の陰で座り込んでいる自分を見つけた、あの時。
彼女は確かに、『独りで座り込んでいるうちは共にいる』と、そう言っていた。
その時点で、自分と彼女の間には、ある種の契約が成ったのだろう。
無論、契約と言っても、所詮は単なる口約束にしか過ぎない。
証文も契約書も、それを第三者に対して証明するものは何もない。
だが、そんな吹けば消えるような口約束を、彼女は本当に律儀に遵守してくれていたのだと。
今、遥かな時間を置いて、霖之助は気が付いた。
――全く。今更になって、余計な事を知ってしまったものだ。
これでもう一つ、彼女に頭が上がらない理由が出来てしまった。

「尤も、私も穣子も、もう貴方は一人でも大丈夫だと思ってはいた、ということもあるけれど。……でも、まさかこうしてまた顔を合わせることになったのは、流石に驚いたわ」
「ふむ。僕の方はそうでもなかったな。ここの里の収穫祭で秋の神様を招待すると聞いた時は、君たちが僕を見つけてどんな顔をするかと思っていたくらいだったからね」
「……そんな事考えてたの? 最悪だわ。実際、その顔を見て思いっきり笑ってくれたわけだし」
「いや、すまなかった。だが、結局僕も同じような目に合ったんだから、それで両成敗じゃないか」
「……知らないわよ、もう」

ぷくー、と不満そうに静葉は頬を膨らませる。
だが、その不満も尤もだろうか。

――彼女達と袂を分かち、全国を放浪した果てに辿り着いたこの場所で二柱と再会したのは、彼女達と過ごした時間と同じくらいの隔たりがあった後だった。
その間、根無し草のように放浪していたせいもあって、彼女達とは一度も出会う事がなかった。
当然、静葉も穣子も、霖之助自身の生死すらも知りようがなかったはずだ。
そんな状況で、収穫祭の熱気に渦巻く雑踏の中から、ひょっこりと何食わぬ顔でその顔が現れたのだから、それは彼女達でなくとも驚くに決まっている。
――実際、あの時の静葉と穣子の、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔は、彼女達から受けた恩と同じくらい、この先も忘れないだろう。
今思い出しても、じんわりとした笑いが腹の底から込み上げてくる。
思い出し笑いすら出来るような顔だったのだから、当然その場で堪えきれずに、霖之助も笑ってしまった。
まぁ、その直後に大勢の里の人たちの面前で、静葉と穣子に泣きながら抱きつかれたのは、流石に予想外だったが。
お陰で暫く、里の人間達からは『色男』だの『両手に花』だのと、随分とからかわれたものだ。

「……でも、その時に思ったわ。『あぁ、中身はあんまり変わってないな、この子』って。嬉しいやら悲しいやら、だったけど」
「ふむ。その心は?」
「悲しいのは、単純に『成長してないのかしら?』っていう心境ね。嬉しいのは……『ちゃんと私の知ってる子だった』っていう安心感かしら。成長を願う反面、『子供はいつまでも自分の子』って思うのが親心というものなのよ。まぁ、私には子供はいないけど」
「……あぁ、何だか少し分かるよ。その心境は」

静葉の言葉に、霖之助の脳裏に二人の妹分の顔が過ぎる。
言うまでもなく、霊夢と魔理沙だ。
霖之助自身、あの二人のもっとまともな方向への成長を願わずにはいられないが、かと言ってもし急激に別人のようになってしまったらと考えると、少々複雑な心境になる。
静葉が感じたのは、正しくその心なのだろう。
――などと、静葉の心境に共感するように頷いていると、どこかじっとりとした静葉の視線に気が付いた。

「……何だい?」
「……そう言えば貴方、私が知らないうちに、どこぞの手の早い平安貴族みたいな真似をし始めてるんですってね。その話を聞いた時は、さすがにちょっと幻滅したわよ」
「……一体何を言っているんだ、君は」

突如飛んできた、よく分からない静葉の言い分に、霖之助は眉を潜めながらつまみの浅漬けに手を伸ばす。
一方静葉は、胡瓜の糠漬けに手を伸ばしながら『しらばっくれても無駄なんだから』と、相変わらずお冠のままだ。

「しらばっくれても、と言われてもね……。あぁ、それは今年の夏、採れた胡瓜なんだが、どうだい? 今年もいいのが採れたから、今度穣子と一緒に店に来るといい。いくらかご馳走しよう」
「……うん、よく漬かってて美味しいわ。料理の方も腕を上げたのね。穣子には言っておくから、楽しみにしてる――じゃなくて。もう、そうやって話の腰を折るのも相変わらずなのね」

――惜しい。
上手い具合に話を有耶無耶にしようと思ったのだが、その目論見は失敗したようだ。
しかし、突然『平安貴族のような真似』と言われても、霖之助には皆目見当もつかない。
と言うか、あの時代の平安貴族は妻や妾が何人もいるのが当たり前だったから、『手が早い』などと言われても候補が多すぎてさっぱり分からないのだが。
まぁ、その中でも『手が早い』事で、今になっても有名な人物は確かにいるにはいるのだが――。

「……いや、待て。もしかしてその平安貴族とは、光源氏を指しているのか?」
「ああ、そうそう。そんな名前だった気がするわ。まだ小さい子を拉致した挙句に囲っちゃった人ね。まあ、百歩譲って元奉公先の娘は分かるとしても、博麗の巫女まで囲うのは、お姉さんもさすがにちょっとどうかと思うのだけれど」

ぽりぽり、と胡瓜を咀嚼しながら、静葉は非難の響きを隠さずに言う。
――これは、まさか山のゴシップ好きの天狗の誰かに、妙な話でも吹き込まれたのだろうか。
彼女自身、割とフランクな神様である事もあって、ふとしたところで天狗と世間話していても全く違和感を感じない辺り、多分間違いないだろう。
しかし、彼女も天狗の書くような新聞に信憑性がないことくらい、ちゃんと分かっていそうなものなのだが、一体何を根拠にそんな話を真に受けたのだろうか。
……まぁ、原因解明は後でするとして、とりあえず今はこの弁解するのも莫迦げている噂話をどうにかする方が先決ではある。

「……まず言っておくと、あの二人はそういうものじゃないよ。多少、懐かれてはいると思うが、どちらかと言えば向こうが勝手に店に来て集っているだけさ。そもそも紫の上のようにする事を考えていたなら、もっと品良くさせているよ。……と言うか、そもそも奉公先の娘や博麗に手を出すような、恩知らずで怖い物知らずになった覚えはないし、君にもそんな事を教えられていない。だろう?」
「……そう、ね。そうだったわ」

文にも使った事もある口上に、静葉と穣子にだけ通じる末尾を付け加えてそう言い切ると、静葉はやけにあっさりと頷いた。
そんなに自分への教育には自信があったのだろうか――と一瞬思ったが、それを否定する事は今の自分の否定にも繋がるため、止めた。
それに、彼女にそれだけ自信があるという事は、逆に言えばそれだけ自分へ『教』え、『育』てることに心血を注いでくれたのだろうとも思う。
それは十分感謝しているし、これからも感謝は続けるが――。

「変な所だけ学んできちゃったのかしら、って一瞬焦ったけど、言われてみればその通りね。でも、そう言う割にはお店の経営の方も杜撰みたいだけど、あれはどうなの? 昔から散らかす癖があったから、ちゃんと直すように言ってきたと思うんだけど」
「……あれはあれで、僕のやり方だからね。他人の目には杜撰に見えるようだが、店主である僕は是としている以上、あれで問題ないんだ」

実際、古道具屋らしい雰囲気を作るのと、整理整頓を隅々まで心がける事は背反していて、両立などなかなか出来るものではない。
それに、どこに何があるのかを店主たる霖之助自身がちゃんと把握出来ているのだから、ある意味では整理出来ているとも言える。
ならば、それで十分であろう。
――とは言え、出来る範囲でやろうとは、思わないでもない。
ほぼ無いだろうが、この神様の制裁の蹴りだけは、冗談でも食らいたくはない。
あれは、長年の仕事で精練されてきたものだけあって、慧音の頭突きよりもかなり効く。
それだけは本当に勘弁願いたいと心底思うのは、これも彼女の言う教育の賜物だろうか。

「……まぁいいわ」

そう、自分の中で理論武装する霖之助の内心を見抜いているかのように、静葉は小さく溜息を吐いた。
その顔はどことなく、ずっと昔に悪戯をした霖之助と穣子に対して向けていた、柔らかい苦笑と被って見えた。

「貴方が意外に頑固と言うか、自分の考えに一直線である事は、とっくに知っていたから。それも含めて、貴方のいいところなんだと思うの」
「……そこは、『一本芯が通っている』と言って欲しいところだったんだが……とは言え、それをいいところだと言ってくれるのは君くらいなものか。それは素直に嬉しく思う」
「……私くらい、か。まぁでも、そっちの方の気持ちも分からないでもないんだけれどね。悪い癖が直ってないのを、屁理屈捏ねて躱そうとしてるところとかは、全然変わっていないもの」
「……結局、君は僕を誉めたいのか? 貶したいのか?」
「ふふ。さて、どっちでしょうね。……まぁ、でも」

――『神様』が、『静葉』へ。
――『君』が、『貴方』へ。

人外の存在同士であるはずなのに、そう呼称が変わってしまう程の年月が過ぎて、彼は大きくなった。
その途中で一時的な交流の断絶はあったものの、彼はその間も、そして今も、昔に自分が教えた事は変わらず大事にしてくれている。
そして、それに呼応してかどうかは知らないが、中身の方もそんなに変わっていない。
尤も、暫く顔を見なかった間に色々と世間という荒波に揉まれてきたせいか、昔より幾分か斜に構えたような言動をとるようになったものの、それは『彼』という木で言えば枝葉の部分の変化に過ぎない。
根っこの部分は相変わらずだ。

面倒見がいいところも。
弱い存在には優しいところも。
義理堅いところも。

面倒くさがりなところも。
物を散らかす癖も。
皮肉屋で理屈屋なところも。

善いところも、悪いところも、相変わらずだ。
しかし――いや、だからこそ。

「――手のかかる子ほど可愛いって言うし。そういう意味では、成功したのかもしれないのかしら」
「? 何がだい?」
「ふふ。知りたい?」
「……それは、まぁ。僕に教えて差し支えないのであれば」

霖之助はやや訝しそうに静葉を見遣る。
――その表情を見る限り、やはり当の本人には全く意識はなかったのだろう。
尤も、当事者である静葉自身でさえも、『それ』に気付くまでに長い年月を要したのだから、その反応も当然なのかもしれないが。

「まず最初に、ごめんなさいね。私、貴方の事を言えなかったのよ、実は」
「?? いや、だから何を」

要領を得ない静葉の言葉に、霖之助は更に困惑の表情を深める。
逆に、静葉はその穏やかな笑みを、少しずつ悪戯っぽいそれへと変化させていく。

――全てのきっかけは、『好奇心からの気紛れ』だと思っていた。
その気持ちを原動力として、自分はわざわざ色のいい落ち葉を拾って、あの子のところへと戻り。
そこで、その子の特殊な生い立ちを知り、神らしい慈悲の心を覚えて、その半妖の子を保護し。
『独り立ち出来るまで』という取るに足らない口約束を律儀に守って、その成長を見届けてきたのだと。
そう、思っていた。
けれど、実際にその契約が満了し、彼を自分の手元から手放さなければならなくなった時になって、ようやく気が付いた。
気が付いて、しまった。

「さっきの、博麗の巫女と元奉公先の娘さんのことよ」
「……霊夢と魔理沙の事?」

――単なる好奇心で、見も知らぬ子供に、わざわざ神自ら選んだ紅葉を贈るだろうか?

応。その程度ならば、十分に有り得るだろう。

――生い立ちを哀れんで、神が身寄りのない子供を保護するだろうか?

応。人間の子供に対し、保護・加護を与えた例は、数知れない。

――神でもない、しかも妖怪と人間との相の子である存在との口約束程度のものを、律儀に守る神があろうか?

応。神は気紛れなれど、その気紛れ故に、律儀にその願いに応えた例もまた、数知れない。

――では、その加護や守護を、世代が変わる程の長きに亘り、たった一個人に付する事など有り得るのだろうか。

……否。好奇心や哀れみ程度では、いくら何でも神はそこまで慈悲を与えない。

そう自問自答して、ではどこに間違いがあるのだろうか、と探してみれば、何の事はない。
――つまり、最も初めの前提から、既に間違っていたのだと気付く。
自分が半妖の子に抱いたのは、好奇心や哀れみ、ましてや慈悲の心などではなく。
かの光源氏が、出先で偶然に一瞬だけ見かけた若紫に抱いた感情と、全く同じモノだったのだと。
若紫とは違い、己の手の中から離れていく背を、ないまぜになった感情に上から笑みを貼り付けて見送りながら、心底気が付いたのだ。
――だから。

「――光源氏計画。そろそろ頃合かと思うのだけれど、『若紫』はどう思うかしら?」
「―――」

――彼が他の地で誰とも結ばれることなく、また他の地で果てることなく、こうして自分と再びめぐり合えたのは運命に他ならなかったのだろうと、再会した瞬間に確信した。
莫迦みたいな話に聞こえるかもしれないが、神であるはずの自分が、この数奇な巡り合せを演出してくれた神に、心の底から感謝したのだ。
たが、その奇跡がいつまでも続くなどと、甘い事は考えられなかった。
先程、霖之助の話にも挙がった元奉公先の娘や博麗の巫女が、いつ何時油揚げを攫う鳶に化けるかを考えると、ここ数年、胸の奥底で微かな恐怖と焦りを感じ始めていた。
人間だから、と侮ってはならない。
寧ろ人間だからこそ、その可能性は十分に有り得るのだと。
だから、その運命が自分を見放す前に、告げる。
秋静葉という神が抱いた、実に馬鹿らしくて独りよがりな物語の結末を。
その舞台に戻ってきた、たった一人の若紫へと。

「――く、っははは。これは参った。まさか僕を『光源氏』と言っておいて、実のところは『若紫』だったとはね。皮肉にしては気が利いているじゃないか」
「む。だから最初に謝ったんじゃない。それに、皮肉じゃないわよ」
「ああ、それは分かってる。――薄々、そうなんじゃないかという気持ちが、半分。そうだったらいいかと思う気持ちが、半分だったからね」
「――え?」

霖之助の言葉に思わず瞠目する静葉に、霖之助は先程の静葉のような、悪戯心に満ちた笑みを浮かべた。

――霖之助自身も、ずっと訝しんでいた。

仮にも神である存在が、ただの口約束を律儀に守り、大した力も持たない半人半妖一個人にずっとついている事を、おかしいと思っていた。
神にも慈悲の心はあるとは知っていたが、その見返りすらも求めない慈悲が十年単位で続いている事を、おかしいと思っていた。
もしかしたら、その『契約』が切れる時に何かを要求されるかもしれないと、ほんの僅かな不安があったのだが、それすらも全く無かった事を、おかしいと思っていた。

それについてずっと考えを巡らせたが、結局利害や損得という形では、満足な解答には辿り着けなかった。
しかしその中で唯一、納得に足りる解答に行き着いた時は、はじめは余りの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまった。
何故ならそれは――『静葉が自分に対し、何らかの強い執着を抱いているのかもしれない』という、傲慢にも自惚れにも似た仮説だったからだ。
当然、そんな考えは自分でも即座に一蹴した。
省みるつもりも、当然なかった。
――だが、それ以外に納得出来るものがなければ、嫌でも頭の片隅に『それ』が、まるで靄のように薄くかかり始めるのだ。
初めのうちは、それでもその靄を蹴散らし、他の解答を探し続けたが、何度も何度も湧いて出るうちに、次第に『それ』が自分だけの形を得始めてしまい。
――気が付けば、鼻で笑っていたはずのものが、いつしか確かな形を得て、頭の片隅に居座るようになってしまったのだ。

だがそれも、今日で終わりだ。
これ以上ない確かな解答を、その当の本人から、『その靄が正解である』という形で得られたのだから。

「『あやなくも 隔てけるかな夜を重ね さすがに馴れし 夜の衣を』。……これは源氏の歌であるし、この歌を見つけて若紫は臍を曲げてしまうものなんだが、ある意味、僕らにはどちらにも当てはまるものなのかもしれないな。……今度は、『夫婦』というものを教えてくれるのかい? 『神様』」
「……ふふ、そうね。私も一応知識はあるけれど……でも、そこから先は未体験だから、一緒に学んでいくしかないかしら。……教えて、教えられて。そういうものでしょう?」
「ふむ。……確かにその通りだな。まぁ、それはまた明日にでも考えよう。まだ酒も肴もある。今日はゆっくり呑ろうじゃないか」
「……あら。今年は暗くなる前に山を下りないの?」
「済まないが、今回は送っていってくれないか。……別に変な事じゃないだろう? 光源氏が、紫の上の邸宅に行くのだから」
「――仕方ないわね。そういう、妙なところで甘えんぼさんなのも、相変わらずなんだから」

一柱と、一人。
金の神と銀の半妖が、再び持った杯を軽く合わせて、その中身を呷る。

――そうして、秋風の中に紅葉が舞う中で飲み込んだ、白昼二回目の乾杯の酒は。
何故だか一回目のそれよりも、遥かに透き通った、かつ熱く喉を灼くような感覚でありながら。
遥かに上質の濁酒のように、甘く、濃厚な味だった。


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コメントコメント


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この後は姉妹のドロドロの愛憎劇ですね分かります

| URL | 2012/11/29 (Thu) 13:02 [編集]


名前だけ出てきた穣子ぇ・・・
しかし正しく光源氏、ローラー スケートを履いて踊りまくってるぜww

子供は穣子の方ができそうだな実りだし
穣子のほうも実は同じ考えだったりしてそうだな
静葉の考えは当てはまってるわけだし
一気に嫁二人とは、まさか魔理沙と霊夢の二人と
比較対象として考えていたわけか、流石淡色さんだ

猟奇王 | URL | 2012/11/30 (Fri) 00:41 [編集]


待っていました!
やっぱり陰気ではなくてこんなほのぼのとした静霖が見たかったです。GJ!

| URL | 2012/12/06 (Thu) 19:16 [編集]


穣「祭りから帰って来たら若紫がお姉ちゃんに取られてた!でも神様だから重婚しても問題ないよね♪(キリッ)」

| URL | 2012/12/08 (Sat) 12:25 [編集]


大人っぽくもあり子供っぽくもある遣り取り・・・
ええなぁ・・・ 何かええなぁ・・・
この後妹さん乱入までは幻視余裕でした。

胡散臭さ万歳 | URL | 2012/12/10 (Mon) 15:06 [編集]


 
 

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